霧島の麓にて

霧島の麓から田舎暮らしの日々をつづります・・・山登り、短歌、そしてパソコンな日々

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そば打ちに挑戦 山里のお婆ちゃんが作る田舎そば

   

そば打ち
そば打ちに挑戦してみました。
とは言っても、ウッカタがそば打ちをして、私はいわゆる、味見役です。

近くのお婆ちゃんがそば打ちを教えてくれるというので夫婦で朝からお邪魔すると、すでにハガマにお湯が沸いていました。
こちらのお婆ちゃんの家では蕎麦の栽培もしています。自分で育てた蕎麦で手打ちそばです。

そばをこねる

まずすり鉢に水を入れて、その中で山芋をすりおろしていきます。水を入れた状態ですりおろすのがコツのようです。山芋だけですりおろすと蕎麦粉と水と山芋を合わせることが大変なようです。

そば打ち

終わったら大きめのボールでこねていきます。蕎麦粉に先ほどの山芋いりの水を掛けながら捏ねていきます。ぽろぽろの状態になったら水を入れるの止めて捏ねていきます。耳たぶくらいの固さくらいの団子をつくります。この固さが微妙ですね。何回か作って覚えるしかないかもしれません。

そばを延ばすく

そば打ち

今回は蕎麦粉を1升半、打ち粉を半升用意しました。その1升半の蕎麦粉を練ったものを3つに切って団子状態にします。
あとは麺棒を使って伸ばしていきます。一度に伸ばそうとせずに何度も何度も打ち粉を振りながら伸ばしていきます。打ち粉を上手につかってくっつかないようにしていました。

そばを切るく

そば打ち

延ばし終わったら、麺棒に巻き付けて、その麺棒を抜くと折りたたんだような形になります。あとは切るだけです。慣れないと太さがそろっていなかったり、異様に太い麺になったりします。練りがあまり柔らかいと、ここで包丁にくっついたりするそうです。

そばを湯がく

そば打ち

切り終わったら煮立ったハガマにいれて湯がきます。ハガマは薪をくべてぐつぐつの状態です。一度煮立ったら差し水をして、次に煮立ったら上げて水の中にいれます。今回は多かったので2回に分けて湯がきました。

そば打ち

そばを洗う

湯がきおわったら水を流しながら洗います。水が澄んでくるまで洗い流して麺の完成です。

そば打ち

出汁に入れて出来上がりく

今回は鶏ガラで取った出汁で頂きました。いわゆる田舎そばです。太くて短いおそばです。出汁と一緒にかきこむように食べると、口中にそばのかおりが広がります。

そば打ち

おそばが美味しいのは桜の花が咲く頃までだそうです。だんだんと香りがなくなるのだそうです。ただ、実のままで置いておき、食べる時に製粉すると良いということでした。
さて、一応お勉強はおしまいです。あとは経験を積むだけ。

 - 田舎暮らし

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  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/30])

    永野さん、返事ありがとうございます。
    お会いできる日を楽しみにしております。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/30])

    おはようございます。パソコンに短歌に史跡巡りに山登りに米作りにバーベキューなどなどにとお忙しい毎日を楽しんでおられるようです。
    今度そちらにお伺いするときは連絡差し上げてみたいと思います。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/28])

    なるほど、興味深いですね。
    史跡めぐりは好きですがテーマがあると面白くなりますよね。

    私の興味は今のところ古代です。
    国分は古代と先端技術がが同居している面白い場所です。
    私は日向市の生まれでれ宮崎市で暫く仕事して今は国分に住んでいます。。ここに来た時に宮崎神話と思っていた海幸彦山幸彦の主人公の御陵が近くにあったのが興味を持ち始めた発端です。

    永野さんおブログを拝見しました。国分方面にも良く来られているのですね。こんど来られるときはご連絡ください。時間があえばお会いしたいものです。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/28])

     ご返事ありがとうございます。800年前の話、やはり無理ですね。
    俊寛が実際にこれらのルートを通って流されたかどうかは事実ではないのではと思いますが、長門本を書いた作者(複数かも)は本に出てくる地名を知っていたと思われますし、この本が書かれた当時はこのルートが一般的によく知られていたものと思われます。
     俊寛らが出港した港はまずは隼人のAZの近くの港から、鹿児島に立ち寄り最終的には坊津からのようです。このことについては「広報きりしま」(何号かはメモしてなくて不明ですが最近です)の20ページに詳しい記載があります。
     私のブログ「宮崎(都城)からの便り」の中の史跡巡りまたはぶらり旅の欄にもコチョコチョと書いています。参考になれば・・・。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/26])

    あの足摺の俊寛ですか。俊寛が我が家のちかくを通っていたとは感慨深いものがあります。
    残念なが止上から財部への古道は判りません。今では国分と財部を結ぶ県道2号線が近いと思います。
    気色の森も近くにあります。

    俊寛が流刑地に向かって出港したという石碑が鹿児島市の天文館にあるそうなので、国分から加治木を通って白銀坂を登ったのでしょうか。
    私も機会があったら薩摩街道などを訪ね歩きたいと思います。

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