霧島の麓にて

霧島の麓から田舎暮らしの日々をつづります・・・山登り、短歌、そしてパソコンな日々

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農業日誌 5月の農作業

   

休耕田

いよいよ夏野菜が待ったなしです。連休中に頑張って畑仕事をしないと田んぼの方も忙しくなってしまいます。

5月3日 さつま芋の植え付け、分蜂
サツマイモを30本植えました。品種は紅はるか、焼き芋などが美味しいさつま芋です。ナスを4本、トマト2本、キュウリ2本、ゴーヤ2本、ウリ2本、スイカ1本、長芋2本、と少しづつ夏野菜の苗を植えました。
蜂の分蜂がありました。はじめての分蜂ですが、残念なことに居ついてくれず逃げられました。
2つ目の鳥小屋が完成して薩摩鶏をもらってきました。雄が1匹と雌が2匹です。

5月4日 田んぼの草刈り
今年から休耕田をかりて稲作をすることにしました。3年ほど作っていなかった田んぼで草も随分と誇っていたので草刈りをして野焼きしました。野焼きのあとに知人がトラクターを入れてくれて田んぼらしくなりました。なんとか今年の稲作に間に合いそうです。

5月5日 田んぼの荒起こし
今まで作っていた3枚の田んぼを耕運機で荒起こししました。今年から田んぼをかりれば稲作をしない田んぼもありますが、とりあえず荒起こしだけはしておきます。休耕するにしても耕しておかないと直ぐに草山になってしまいます。
蜂が2度目の分蜂をしました。今回は蜂玉を作る処から観察していましたが壮観でした。しかし、またも逃げられてしまいました。いったい何が気に入らなかったのでしょう。

5月6日 夏野菜の蒔種
枝豆、オクラ、キュウリ、ゴーヤ、ゴマの種をポットに蒔きました。キュウリなどは苗植えの分から遅れて収穫することになるでしょう。今年は食用ヒマワリの種も蒔いてみました。食用ヒマワリは初めてですが、どうなる事でしょう。

5月13日 ピーナッツの蒔種
ようやく落花生の種を植えました。1畝分、30個ほどです。いつも沢山収穫できて嬉しい落花生ですが、ことしも楽しみです。
ササゲも2畝、こちらは40本ほどを蒔きました。
エンドウの蔓が随分と伸びてきたので網をはりました。いつも風で倒れていたので、ことしは畝の方向をかえて、竹の支柱を園芸用のイボ付きパイプにしてみました。キュウリ、ゴーヤ、ササゲと蔓物も多いので網を張らないといけません。
薩摩鶏が1匹増えました。前回は茶色の薩摩鶏でしたが、今回は白の薩摩鶏、雌です。先住者となかよくやってくれると嬉しいです。

5月16日 休耕田の草焼き
借りる予定の休耕田の草刈りがようやく終わったので、刈り取った草を田んぼで焼きました。焼いた後は知り合いがトラクターを入れてくれて耕してくれます。なんとか間に合いそうです。

5月17日 休耕田の畔切
休耕田にトラクターが入って田んぼらしくなりました。3年くらい荒れ放題の田んぼだったので畔が無いに等しい感じだったので畔切をしたあとに畔に盛り土をしました。土をもって踏み固めると畔らしくなりました。畔もできたので水をためることにしました。草がすごかったので早めに水を張って根腐れをしようという目論見ですが、はたして上手くいくでしょうか。

5月24日 玉ねぎの収穫と枝豆の植え付け
玉葱の収穫をしました。去年は300本植えたのですが、ことしは200本しかうえませんでした。なぜか途中で茎が折れてしまい大きくならなかったものも多かったです。来年はやはり300本植えた方がよいかもしれません。
玉葱を掘った後にはポット植えにしていた枝豆などを畑に植えました。随分と遅くなってしまいました。

 - 菜園

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  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/30])

    永野さん、返事ありがとうございます。
    お会いできる日を楽しみにしております。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/30])

    おはようございます。パソコンに短歌に史跡巡りに山登りに米作りにバーベキューなどなどにとお忙しい毎日を楽しんでおられるようです。
    今度そちらにお伺いするときは連絡差し上げてみたいと思います。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/28])

    なるほど、興味深いですね。
    史跡めぐりは好きですがテーマがあると面白くなりますよね。

    私の興味は今のところ古代です。
    国分は古代と先端技術がが同居している面白い場所です。
    私は日向市の生まれでれ宮崎市で暫く仕事して今は国分に住んでいます。。ここに来た時に宮崎神話と思っていた海幸彦山幸彦の主人公の御陵が近くにあったのが興味を持ち始めた発端です。

    永野さんおブログを拝見しました。国分方面にも良く来られているのですね。こんど来られるときはご連絡ください。時間があえばお会いしたいものです。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/28])

     ご返事ありがとうございます。800年前の話、やはり無理ですね。
    俊寛が実際にこれらのルートを通って流されたかどうかは事実ではないのではと思いますが、長門本を書いた作者(複数かも)は本に出てくる地名を知っていたと思われますし、この本が書かれた当時はこのルートが一般的によく知られていたものと思われます。
     俊寛らが出港した港はまずは隼人のAZの近くの港から、鹿児島に立ち寄り最終的には坊津からのようです。このことについては「広報きりしま」(何号かはメモしてなくて不明ですが最近です)の20ページに詳しい記載があります。
     私のブログ「宮崎(都城)からの便り」の中の史跡巡りまたはぶらり旅の欄にもコチョコチョと書いています。参考になれば・・・。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/26])

    あの足摺の俊寛ですか。俊寛が我が家のちかくを通っていたとは感慨深いものがあります。
    残念なが止上から財部への古道は判りません。今では国分と財部を結ぶ県道2号線が近いと思います。
    気色の森も近くにあります。

    俊寛が流刑地に向かって出港したという石碑が鹿児島市の天文館にあるそうなので、国分から加治木を通って白銀坂を登ったのでしょうか。
    私も機会があったら薩摩街道などを訪ね歩きたいと思います。

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