霧島の麓にて

霧島の麓から田舎暮らしの日々をつづります・・・山登り、短歌、そしてパソコンな日々

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ソバの収穫 1年目のソバ作はちょっと残念なことに

   

ソバの収穫

ようやくソバの収穫を終えました。

ソバは75日で収穫できます。8月の終わりに種を蒔いてから、実際に刈り取ったのは11月23日でした。蒔種から80日くらいでしょうか。

白いソバの花もすっかりなくなり、葉っぱも黄色くなっていました。三角の実が随分と茶色くなって良い頃合いとなったときは、周りの畑はほとんどが刈り入れが終わっていました。

休耕田に植えた分は、一応刈り取りましたが背丈も小さく実入りも期待できません。皮肉にも余った種を蒔いた畑の方が、何とか収穫できる程度です。
刈り取りは鎌で一条づつ刈り取っていきます。刈り取ったソバは丸くまとめて傘を伏せたように立てていきます。足に巻くように立てて足を横に抜く感じで立てるのです。師匠に教わりながら立ましたが、師匠のように綺麗にはできませんでした。

ソバの収穫

立てたソバは2週間ほど干しておきます。途中で数回雨が降ると実が良く落ちるそうです。不思議ですね。

脱穀したのは12月2日です。ブルーシートを広げた上で、ソバを棒で思いっきりたたきます。思いっきりです。最初はトントンと叩いていたのですが、師匠から思いっきり叩かないと落ちないと怒られました。確かに強くたたくと面白いように実が落ちていきます。

叩き終わったら、穴の空いたザルでふるって枝などを取り除きます。
ソバの実だけになったら、空き地で1、2日天日干しです。この時に小石や芋虫などを取り除きます。あとは唐箕(とうみ)で細かいゴミを吹き飛ばして出来上がりです。

3Kgの実を植えて、7Kgのソバの実が取れました。まぁ、植えた分くらいにはなったようです。実際は2kgくらいは発芽せずに無駄になった感じです。来年はもう少し沢山収穫したいですね。

折角、収穫したソバなので全部製粉して食べちゃおうと思います。来年の種は、また買えばよろしいかと。
自分で育てた新ソバ・・・楽しみです。

 - 菜園

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  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/30])

    永野さん、返事ありがとうございます。
    お会いできる日を楽しみにしております。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/30])

    おはようございます。パソコンに短歌に史跡巡りに山登りに米作りにバーベキューなどなどにとお忙しい毎日を楽しんでおられるようです。
    今度そちらにお伺いするときは連絡差し上げてみたいと思います。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/28])

    なるほど、興味深いですね。
    史跡めぐりは好きですがテーマがあると面白くなりますよね。

    私の興味は今のところ古代です。
    国分は古代と先端技術がが同居している面白い場所です。
    私は日向市の生まれでれ宮崎市で暫く仕事して今は国分に住んでいます。。ここに来た時に宮崎神話と思っていた海幸彦山幸彦の主人公の御陵が近くにあったのが興味を持ち始めた発端です。

    永野さんおブログを拝見しました。国分方面にも良く来られているのですね。こんど来られるときはご連絡ください。時間があえばお会いしたいものです。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/28])

     ご返事ありがとうございます。800年前の話、やはり無理ですね。
    俊寛が実際にこれらのルートを通って流されたかどうかは事実ではないのではと思いますが、長門本を書いた作者(複数かも)は本に出てくる地名を知っていたと思われますし、この本が書かれた当時はこのルートが一般的によく知られていたものと思われます。
     俊寛らが出港した港はまずは隼人のAZの近くの港から、鹿児島に立ち寄り最終的には坊津からのようです。このことについては「広報きりしま」(何号かはメモしてなくて不明ですが最近です)の20ページに詳しい記載があります。
     私のブログ「宮崎(都城)からの便り」の中の史跡巡りまたはぶらり旅の欄にもコチョコチョと書いています。参考になれば・・・。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/26])

    あの足摺の俊寛ですか。俊寛が我が家のちかくを通っていたとは感慨深いものがあります。
    残念なが止上から財部への古道は判りません。今では国分と財部を結ぶ県道2号線が近いと思います。
    気色の森も近くにあります。

    俊寛が流刑地に向かって出港したという石碑が鹿児島市の天文館にあるそうなので、国分から加治木を通って白銀坂を登ったのでしょうか。
    私も機会があったら薩摩街道などを訪ね歩きたいと思います。

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