霧島の麓にて

霧島の麓から田舎暮らしの日々をつづります・・・山登り、短歌、そしてパソコンな日々

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がまこう庵 田舎そばとパンが嬉しい

      2015/05/24

がまこう庵先だっての俳句の会でお邪魔したがまごう庵を紹介します。田舎そばを出してくれる趣のあるそば屋さんです。

場所は都城市です。都城市と言っても霧島の宮崎側と言った方が分かり易いかもしれません。近くには観光牧場の高千穂牧場もあり、霧島観光のついでの寄るにはちょうど良い場所です。霧島神宮前の国道223号を都城へ向かって進み、御池(高原町)との分かれ道を過ぎてすぐの処にあります。

周りには家がなく、田舎のそば屋さんという趣です。私が行ったときは冬ということもあり、入り口横には薪が積み上げられ大根が干してありました。
ここはそば打ちや田舎暮らしの教室もやっていて、お店の周りには発電用の風車や鶏小屋、椎茸の原木などがあります。「風」という庵もちかくにあり、ここでそば打ちの教室などをしているようです。

がまごう庵大根

お店にはいると随分とお客さんが多く賑わっています。薪ストーブが薪独特の柔らかい温もりを店中に放っています。私は俳句の会ということもあり、奥の離れの部屋で頂きました。こちらは予約をすれば通してもらえるようです。

お蕎麦は「がまこう膳」を頂きました。おそばと赤米のご飯、そして季節のものの料理がつき、芋などを使った自然なスーツが付きます。おそばは、細麺のざるそばと細麺、太麺の2種類の温そばから選びます。私は太麺温そばの田舎そばを選びました。昔ながらの短い麺です。新そばの時期ということもありそばの香りを強く感じました。ざるそばを食べた連れはコシがあって美味しいといっていました。ここの蕎麦は石臼で使う分だけ製粉し自家製麺という事でした。

お店にはそばの実、そば粉をはじめつくだ煮、味噌など地元の食品が並べてありました。ここのパンは美味しいとのことで連れがいくつも買っていました。私も土産に買おうかと思いましたが、残念ながら食事が終わって帰る頃には売り切れていました。パンも人気のようです。

がまごう庵 アクセスマップ

宮崎県都城市吉之元町5186

31°50’49.6″N 130°54’00.9″E

 - 味処散策

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  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/30])

    永野さん、返事ありがとうございます。
    お会いできる日を楽しみにしております。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/30])

    おはようございます。パソコンに短歌に史跡巡りに山登りに米作りにバーベキューなどなどにとお忙しい毎日を楽しんでおられるようです。
    今度そちらにお伺いするときは連絡差し上げてみたいと思います。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/28])

    なるほど、興味深いですね。
    史跡めぐりは好きですがテーマがあると面白くなりますよね。

    私の興味は今のところ古代です。
    国分は古代と先端技術がが同居している面白い場所です。
    私は日向市の生まれでれ宮崎市で暫く仕事して今は国分に住んでいます。。ここに来た時に宮崎神話と思っていた海幸彦山幸彦の主人公の御陵が近くにあったのが興味を持ち始めた発端です。

    永野さんおブログを拝見しました。国分方面にも良く来られているのですね。こんど来られるときはご連絡ください。時間があえばお会いしたいものです。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/28])

     ご返事ありがとうございます。800年前の話、やはり無理ですね。
    俊寛が実際にこれらのルートを通って流されたかどうかは事実ではないのではと思いますが、長門本を書いた作者(複数かも)は本に出てくる地名を知っていたと思われますし、この本が書かれた当時はこのルートが一般的によく知られていたものと思われます。
     俊寛らが出港した港はまずは隼人のAZの近くの港から、鹿児島に立ち寄り最終的には坊津からのようです。このことについては「広報きりしま」(何号かはメモしてなくて不明ですが最近です)の20ページに詳しい記載があります。
     私のブログ「宮崎(都城)からの便り」の中の史跡巡りまたはぶらり旅の欄にもコチョコチョと書いています。参考になれば・・・。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/26])

    あの足摺の俊寛ですか。俊寛が我が家のちかくを通っていたとは感慨深いものがあります。
    残念なが止上から財部への古道は判りません。今では国分と財部を結ぶ県道2号線が近いと思います。
    気色の森も近くにあります。

    俊寛が流刑地に向かって出港したという石碑が鹿児島市の天文館にあるそうなので、国分から加治木を通って白銀坂を登ったのでしょうか。
    私も機会があったら薩摩街道などを訪ね歩きたいと思います。

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