霧島の麓にて

霧島の麓から田舎暮らしの日々をつづります・・・山登り、短歌、そしてパソコンな日々

短歌

【転載】連作のすすめ

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にしき江

 この文章がにしき江に掲載される頃は、恒例の二十首詠に取り掛かっている方も多いのではないだろうか。私は連作が好きだ。一首の短歌はスナップ写真のように、その時々の情景や想いを切り取って表現できる。しかし、それを上手く並べていくと卒業アルバムのように物語を紡いでくれたりする。

 連作というと思い出す歌集がある。千葉聡氏の歌集「微熱体」だ。

〇ケントからはしゃいだ電話「九月から舞台に立てる」二十二時 晴れ
〇ケント死す 交通事故の現場には溶けたピリオドみたいな今日が
〇喪服など持たないヒロはジーンズで来た 命よりも赤い目をして
〇ポスターはこの夏に灼け出演者変更のビラ白く貼られる

私は三首目が好きだ。上の句の意外性が、友人の死を哀しむ素朴な思いを引き立たせ、深みを与えている。その友人の突然の死は二首目の余韻の深い短歌で提示されている。ところで、その前後の短歌は如何だろうか。独立した短歌として読むと面白味もないし意味もわからない。これらは単に物語を紡ぐための短歌と言えるかもしれない。この様な連作は好みが分かれるかも知れないが、私は物語のある短歌も楽しみたいと思う。

 連作の愉しみは、その並べ方、構成にもある。上出のように出来事を時系列に並べると分かりやすく物語性も出てくる。二十首もあれば途中に情景歌をはさみ、変化をつけたりすることもできる。コンテスト用の連作だったらテレビドラマを参考にすると良いかもしれない。印象的で後の展開を予感できるようなシーンで始まり、次の回も見たくなるような余韻のあるシーンで終わる。その間には飽きさせないようにエピソードを配置して起伏をつくる。こんな具合にあれこれと並び替えて構成の変化を楽しむのは連作なればこそである。

 物語を作りたければエッセイでも書けば良いと思うかもしれない。しかし、私は短歌の連作の方が好きだ。例えるならば写真のアルバムとビデオの違いである。写真のアルバムにはスナップ写真のそれぞれに思い出がある。それぞれの写真一枚一枚を楽しみながら全体としても楽しめる。動画は臨場感は増すが個々のシーンは瞬く間に流れ去ってしまう。 二十首詠の時期なので連作の話題にしたが、日常でも連作を楽しみたいし、楽しんで貰いたいと思う。毎月のにしき江誌五首でも物語を紡ぐことが出来る。紙誌に発表しなくても未来の自分という素晴らしい読者が待っていてくれる。

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短歌誌「にしき江 平成30年2月号 時点」に掲載された拙文を転載したものです。

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