霧島の麓にて

霧島の麓から田舎暮らしの日々をつづります・・・山登り、短歌、そしてパソコンな日々

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農地法3条申請をする 農地購入に向けて

      2015/08/18

農地法3条申請

農地購入のために農業委員会に三条申請をしました。

月末までに申請すると、翌月に立ち合い、審査を行い許可の可否が決まるそうです。
書類の作成は行政書士さんにお願いしました。
三条申請の様式などは市役所のホームページからダウンロードできるので自分で申請もできると思います。知り合いは実際に自分で申請を行って許可してもらったそうですが、なんどか農業委員会に出向いたとのことでした。

提出する書類は次のようなものでした。

・農地法第3条の規定による許可申請書

農地売買の内容を記述したものです。
譲渡人、譲受人や売買する農地、譲受人の保有農地、農作業の従事状況、農機具の保有状況などを書きます。
他に添付書類として売買する農地の登記の写しや位置図、字図をつけます。

・起農計画書

私の場合は起農の申請も同時にしないといけませんでした。
農業を始めるという事で起農計画書を提出します。
記載内容は農業の経験、起農の経緯、家族構成、農地の構成、交通手段、農機具の構成、作付けする作物などです。

経験は実家が少しばかり稲作をしていたので、その年数を書きました。

経緯については、こんな感じです。

「子供が成人し、手がかからなくなった為、平成25年2月に山村の長閑な場所に移り住んだものであり、老後の楽しみに農業を行い、手作りの米、野菜を耕作したく起農にいたったものである。
田については稲作を行い、畑については大根、季節野菜などを作付けし、収穫した作物は自己消費し、残りは贈答などにするものである。」

農機具については譲渡人から借りることにしました。

・3条申請に関する誓約書

取得した農地は耕作し、転売、転用をしない旨の誓約書です。

以上の申請書を先月末に提出しました。
次のステップは農業委員会の視察に立ち会いです。立ち合い後に農業委員会で審査が行われ許可が下りる予定です。
許可されなかったらどうしましょう。

 - 菜園 ,

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最近のコメント

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  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/30])

    永野さん、返事ありがとうございます。
    お会いできる日を楽しみにしております。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/30])

    おはようございます。パソコンに短歌に史跡巡りに山登りに米作りにバーベキューなどなどにとお忙しい毎日を楽しんでおられるようです。
    今度そちらにお伺いするときは連絡差し上げてみたいと思います。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/28])

    なるほど、興味深いですね。
    史跡めぐりは好きですがテーマがあると面白くなりますよね。

    私の興味は今のところ古代です。
    国分は古代と先端技術がが同居している面白い場所です。
    私は日向市の生まれでれ宮崎市で暫く仕事して今は国分に住んでいます。。ここに来た時に宮崎神話と思っていた海幸彦山幸彦の主人公の御陵が近くにあったのが興味を持ち始めた発端です。

    永野さんおブログを拝見しました。国分方面にも良く来られているのですね。こんど来られるときはご連絡ください。時間があえばお会いしたいものです。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/28])

     ご返事ありがとうございます。800年前の話、やはり無理ですね。
    俊寛が実際にこれらのルートを通って流されたかどうかは事実ではないのではと思いますが、長門本を書いた作者(複数かも)は本に出てくる地名を知っていたと思われますし、この本が書かれた当時はこのルートが一般的によく知られていたものと思われます。
     俊寛らが出港した港はまずは隼人のAZの近くの港から、鹿児島に立ち寄り最終的には坊津からのようです。このことについては「広報きりしま」(何号かはメモしてなくて不明ですが最近です)の20ページに詳しい記載があります。
     私のブログ「宮崎(都城)からの便り」の中の史跡巡りまたはぶらり旅の欄にもコチョコチョと書いています。参考になれば・・・。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/26])

    あの足摺の俊寛ですか。俊寛が我が家のちかくを通っていたとは感慨深いものがあります。
    残念なが止上から財部への古道は判りません。今では国分と財部を結ぶ県道2号線が近いと思います。
    気色の森も近くにあります。

    俊寛が流刑地に向かって出港したという石碑が鹿児島市の天文館にあるそうなので、国分から加治木を通って白銀坂を登ったのでしょうか。
    私も機会があったら薩摩街道などを訪ね歩きたいと思います。

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