霧島の麓にて

霧島の麓から田舎暮らしの日々をつづります・・・山登り、短歌、そしてパソコンな日々

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農地法3条申請 農業委員会の視察、立会

      2015/08/18

農地法3条申請

今日は農業委員会が申請地の視察があり、私は立ち会いました。

事前に今日の10時30分くらいに購入予定の農地の一つに視察にくるので立ち会うことと連絡がありました。
少し早目に田んぼの一つに行っていると市役所の車がやってきて、農業委員会の方が4人ほど降りてきました。

立会といっても特に何もなく、少しばかり質問があってすぐに終わりました。農業委員会の方々は他の購入予定地も見て回るようですが、私は1ヶ所の立会だけで終わりました。

質問は作付けの内容、農機具はどうするのかと言った程度です。後はちょっとした世間話をして終わりです。
もう少し色々と聞かれるのかと思ったのですが、まずは無事に終わって良かったです。

委員の方が農地を作付けしてくれるのはありがたいと言っていました。
実際の所、この辺りも休耕地が目立ちます。農家の方々の高齢化や跡継ぎ不足は、かなり深刻のようです。かと言って、このような山里の耕作地は農業法人による大規模化などは難しいでしょう。私のように曲がりなりでも、新しく農業を始める人は少ないのでしょうね。

私のようにリタイヤ後に農業の真似ごとをやってみようと思っている人はある程度いるでしょう。でも、それには農地法の最低耕作面積はハードルが高いです。2反歩も用意するとなれば費用的にも時間的にも負担が大きくなります。実際、2反歩も面倒みれるか心配です。

しかし、農地法の趣旨も理解できます。農地の保護という目的では一定の枷が必要でしょう。家庭菜園程度だったら農地を買わないでもできます。しかし・・・休耕地は広がっています。

これから農業の真似ごとにチャレンジするのですが、その過程の中でこのような問題も考えて行きたいと思います。なにか出来るわけでもないでしょうが、自分で考えてみることは大切だと思います。

 - 菜園 ,

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  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/30])

    永野さん、返事ありがとうございます。
    お会いできる日を楽しみにしております。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/30])

    おはようございます。パソコンに短歌に史跡巡りに山登りに米作りにバーベキューなどなどにとお忙しい毎日を楽しんでおられるようです。
    今度そちらにお伺いするときは連絡差し上げてみたいと思います。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/28])

    なるほど、興味深いですね。
    史跡めぐりは好きですがテーマがあると面白くなりますよね。

    私の興味は今のところ古代です。
    国分は古代と先端技術がが同居している面白い場所です。
    私は日向市の生まれでれ宮崎市で暫く仕事して今は国分に住んでいます。。ここに来た時に宮崎神話と思っていた海幸彦山幸彦の主人公の御陵が近くにあったのが興味を持ち始めた発端です。

    永野さんおブログを拝見しました。国分方面にも良く来られているのですね。こんど来られるときはご連絡ください。時間があえばお会いしたいものです。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/28])

     ご返事ありがとうございます。800年前の話、やはり無理ですね。
    俊寛が実際にこれらのルートを通って流されたかどうかは事実ではないのではと思いますが、長門本を書いた作者(複数かも)は本に出てくる地名を知っていたと思われますし、この本が書かれた当時はこのルートが一般的によく知られていたものと思われます。
     俊寛らが出港した港はまずは隼人のAZの近くの港から、鹿児島に立ち寄り最終的には坊津からのようです。このことについては「広報きりしま」(何号かはメモしてなくて不明ですが最近です)の20ページに詳しい記載があります。
     私のブログ「宮崎(都城)からの便り」の中の史跡巡りまたはぶらり旅の欄にもコチョコチョと書いています。参考になれば・・・。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/26])

    あの足摺の俊寛ですか。俊寛が我が家のちかくを通っていたとは感慨深いものがあります。
    残念なが止上から財部への古道は判りません。今では国分と財部を結ぶ県道2号線が近いと思います。
    気色の森も近くにあります。

    俊寛が流刑地に向かって出港したという石碑が鹿児島市の天文館にあるそうなので、国分から加治木を通って白銀坂を登ったのでしょうか。
    私も機会があったら薩摩街道などを訪ね歩きたいと思います。

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