霧島の麓にて

霧島の麓から田舎暮らしの日々をつづります・・・山登り、短歌、そしてパソコンな日々

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日本発祥の地は鹿児島だった

      2015/02/15

日本発祥の地日本発祥の地とはどこでしょうか。そもそも何をもって日本発祥というのかもはっきりしません。

伊邪那岐尊(イザナギ)が国生みで最初に作った淤能碁呂島(オノゴロ島)なのでしょうか。

しかし、日本という呼称は天智、天武天皇の頃から対外的に「日本」(日の本=日が昇る国)と名乗るようになったいいます。それまでは「倭」であり「日本」ではない。となると聖徳太子の「日のいづる処の天子」が発祥かもしれません。そう考えれば飛鳥の地あたりが発祥の地となるのでしょうか。

まぁ、いろいろな考え方、立場があって当然の命題です。

前置きが長くなりましたが、実は鹿児島の南さつま市、加世田に「日本発祥の地」の堂々と書いてある石碑があります。冒頭の写真がその石碑ですが、実に堂々としているでしょう。

日本発祥の地

これで解決です。

ここは「笠沙宮阯」です。

昔々、瓊々杵尊(ニニギ)は高天原から高千穂に降り立ったのちに、西に向かって進み笠沙の地に居を結びます。それが笠沙宮です。高天原にむけて屋根を高くそびえさせた壮大な宮殿を建てたといいます。

笠沙宮阯

天上から降り立った天皇家の祖神が、最初に宮殿を建てた所だから、日本発祥の地という事なのでしょう。日本発祥どうのこうのはともかく、古事記・日本書紀にでてくる地名を訪ね歩くのも楽しいものです。鹿児島や宮崎は日向三代の舞台でもあり神話や伝承が多く残っています。史跡も。ロマンを感じますね。

笠沙宮跡 アクセスマップ

31°23’34.7″N 130°19’47.5″E

 - 歴史散策

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  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/30])

    永野さん、返事ありがとうございます。
    お会いできる日を楽しみにしております。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/30])

    おはようございます。パソコンに短歌に史跡巡りに山登りに米作りにバーベキューなどなどにとお忙しい毎日を楽しんでおられるようです。
    今度そちらにお伺いするときは連絡差し上げてみたいと思います。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/28])

    なるほど、興味深いですね。
    史跡めぐりは好きですがテーマがあると面白くなりますよね。

    私の興味は今のところ古代です。
    国分は古代と先端技術がが同居している面白い場所です。
    私は日向市の生まれでれ宮崎市で暫く仕事して今は国分に住んでいます。。ここに来た時に宮崎神話と思っていた海幸彦山幸彦の主人公の御陵が近くにあったのが興味を持ち始めた発端です。

    永野さんおブログを拝見しました。国分方面にも良く来られているのですね。こんど来られるときはご連絡ください。時間があえばお会いしたいものです。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/28])

     ご返事ありがとうございます。800年前の話、やはり無理ですね。
    俊寛が実際にこれらのルートを通って流されたかどうかは事実ではないのではと思いますが、長門本を書いた作者(複数かも)は本に出てくる地名を知っていたと思われますし、この本が書かれた当時はこのルートが一般的によく知られていたものと思われます。
     俊寛らが出港した港はまずは隼人のAZの近くの港から、鹿児島に立ち寄り最終的には坊津からのようです。このことについては「広報きりしま」(何号かはメモしてなくて不明ですが最近です)の20ページに詳しい記載があります。
     私のブログ「宮崎(都城)からの便り」の中の史跡巡りまたはぶらり旅の欄にもコチョコチョと書いています。参考になれば・・・。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/26])

    あの足摺の俊寛ですか。俊寛が我が家のちかくを通っていたとは感慨深いものがあります。
    残念なが止上から財部への古道は判りません。今では国分と財部を結ぶ県道2号線が近いと思います。
    気色の森も近くにあります。

    俊寛が流刑地に向かって出港したという石碑が鹿児島市の天文館にあるそうなので、国分から加治木を通って白銀坂を登ったのでしょうか。
    私も機会があったら薩摩街道などを訪ね歩きたいと思います。

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