霧島の麓にて

霧島の麓から田舎暮らしの日々をつづります・・・山登り、短歌、そしてパソコンな日々

*

初夏の霧島 ミツバツツジを愛でに(H19/5)

      2015/01/10

ミツバツツジそろそろミツバツツジも咲いている頃でしょうか。
この頃になると霧島のツツジの事が気になってしょうがありません。
風の便りでは4月の忘れ雪で、今年のツツジは遅れ気味とか。
そんな事を考えながらの霧島山行です。

今日のコースは中岳・新燃岳の麓を回るコース、霧島樹海コースです。
今回で2回目、無事に迷わずにいけるでしょうか。

今日は関西からのお客様も一緒。
空港にお出迎えからはじまります。
そんなこんなで、登り始めたのは11時でした。
大体、5時間のコース、天気も予想に反して曇り気味。
ん・・・、と思っていたら、のっけから入り口を間違えちゃいました。
ん・・・、大丈夫だろうか。

そんな不安いっぱいの出発も、歩き始めると青空も見え始めとりあえず順調に。
すぐに現れた草原のツツジは、まだ蕾も固い感じです。
そのまま、例の厳重注意の看板を左にまがり、樹海に入って行きます。
「んっ、なんだか違う」
後ろから声が・・・、どうも新燃岳方面に左に曲がるのをまっすぐに来たようです。
このままだと竜王山に行ってしまいます。
慌てて戻ると、ありました小さい案内版が・・・よかった~。

前から団体さんが・・・、ここでは人に会うのも珍しいのに団体さんに会ったのは初めてです。
そう、この時期は霧島のツツジを求めて沢山に人が入山しています。
「ミツバツツジはどうでしたか」
「咲いていましたよ、7部咲きくらいです」

そうこうしている内に湿原です。
この時期は、ここは花園となっているらしい・・・、でも今年は疎らな感じ。
やっぱり早かった様です。
ここで遅い昼食を取ることにします。

縦走路にぶつかったところで、せっかくだからと新湯方向にしばらくいってミツバツツジを見ることにしました。
ここから10分も歩けばミツバツツジのトンネルがあるはずです。

ちょっと蕾も目立ちますが、咲いていました。
綺麗です。
毎年、ここのミツバツツジは素晴らしい姿を見せてくれます。
もう少しで満開でしょう。
でも、来週の週末では、ちょっと遅いかもしれません。

そのまま新燃岳から中岳を通って高千穂河原に戻ります。
ミツバツツジも早いくらいですから、ミヤマキリシマはまだ蕾も固く、5月末から6月始め位が良さそうです。
出発したときは曇っていた空も青空が広がり、目の前には高千穂峰が勇壮です。

4月始めと同じコースでしたが、ミツバツツジを堪能することができました。
今度はミヤマキリシマが咲く頃に訪れたいコースです。
新燃岳の火口壁がツツジで紫にそまります。

 - 登山日誌 ,

adsense

adsense

最近のコメント

このブログでは記事ごとのコメントは設けておりません。
ご意見、ご感想などは、ゲストブックに書き込んでくださると有り難いです。


  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/30])

    永野さん、返事ありがとうございます。
    お会いできる日を楽しみにしております。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/30])

    おはようございます。パソコンに短歌に史跡巡りに山登りに米作りにバーベキューなどなどにとお忙しい毎日を楽しんでおられるようです。
    今度そちらにお伺いするときは連絡差し上げてみたいと思います。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/28])

    なるほど、興味深いですね。
    史跡めぐりは好きですがテーマがあると面白くなりますよね。

    私の興味は今のところ古代です。
    国分は古代と先端技術がが同居している面白い場所です。
    私は日向市の生まれでれ宮崎市で暫く仕事して今は国分に住んでいます。。ここに来た時に宮崎神話と思っていた海幸彦山幸彦の主人公の御陵が近くにあったのが興味を持ち始めた発端です。

    永野さんおブログを拝見しました。国分方面にも良く来られているのですね。こんど来られるときはご連絡ください。時間があえばお会いしたいものです。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/28])

     ご返事ありがとうございます。800年前の話、やはり無理ですね。
    俊寛が実際にこれらのルートを通って流されたかどうかは事実ではないのではと思いますが、長門本を書いた作者(複数かも)は本に出てくる地名を知っていたと思われますし、この本が書かれた当時はこのルートが一般的によく知られていたものと思われます。
     俊寛らが出港した港はまずは隼人のAZの近くの港から、鹿児島に立ち寄り最終的には坊津からのようです。このことについては「広報きりしま」(何号かはメモしてなくて不明ですが最近です)の20ページに詳しい記載があります。
     私のブログ「宮崎(都城)からの便り」の中の史跡巡りまたはぶらり旅の欄にもコチョコチョと書いています。参考になれば・・・。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/26])

    あの足摺の俊寛ですか。俊寛が我が家のちかくを通っていたとは感慨深いものがあります。
    残念なが止上から財部への古道は判りません。今では国分と財部を結ぶ県道2号線が近いと思います。
    気色の森も近くにあります。

    俊寛が流刑地に向かって出港したという石碑が鹿児島市の天文館にあるそうなので、国分から加治木を通って白銀坂を登ったのでしょうか。
    私も機会があったら薩摩街道などを訪ね歩きたいと思います。

  •   関連記事