霧島の麓にて

霧島の麓から田舎暮らしの日々をつづります・・・山登り、短歌、そしてパソコンな日々

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収穫の秋 ピーナッツ、里芋の収穫

   

収穫の秋 ピーナッツ

ピーナッツを掘ってみました。
ブログの過去記事を見ると5月6日に2畝植えていますね。その後、特に追肥もせずに、草取りもいい加減にしているだけでした。

そろそろ葉っぱも枯れ初めていました。あまり遅くまで放っておくと実が黒くなるということで全部堀あげてみました。思ったよりも沢山収穫できて満足です。
早々に茹でてピールのお伴にしました。

収穫の秋 ピーナッツ

夏野菜がほとんど全滅の中でピーナッツ、芋類が何とか収穫までこぎつけた感じです。

芋類ではさつま芋、里芋をうえました。
里芋は5畝のうち1畝を掘ってみましたが、思ったよりも子芋が付いていました。ちょっと我が家だけでは多すぎるようです。
8月の台風の過ぎた後に葉が枯れてしまい心配しました。その後に新しい葉っぱが出て持ち直したのかもしれません。畑の角に埋めて保存するつもりです。
さつま芋は少しずつ掘っていますが、いい形の芋が入っています。そろそろ全部堀あげる時期なので楽しみです。

収穫の秋 里芋

根菜類ではニンジンが大きくなってくれました。欲張って長く置きすぎたようで、割れているニンジンが多かったようです。適時収穫に心がけます。

収穫の秋 ニンジン

他の夏野菜はあまり芳しくなかったですね。

豆類では枝豆(大豆)、小豆、落花生(ピーナッツ)を植えましたが、枝豆はあまり芳しくなく、小豆に至っては全滅。唯一、まともに収穫できたのは、ピーナッツはだけでした。

根菜類は大根がダメでしたね。大きくなったのですが筋が入り固くて食べれませんでした。

葉物もいくつか植えていましたが、まったくダメでした。全滅です。

オクラ、ピーマン、ナスはあまり芳しくなかったです。枝折れが多かったので防風対策をしっかりとしないといけませんね。

蔓物は苦瓜、キュウリ、スイカなどダメでした。畑の角に植えたのがまずかったです。草に埋もれてしまいました。花の咲く時期に長雨だっとことも影響しているのでしょう。来年はちゃんと畝を作って植えることにします。

 - 菜園

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  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/30])

    永野さん、返事ありがとうございます。
    お会いできる日を楽しみにしております。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/30])

    おはようございます。パソコンに短歌に史跡巡りに山登りに米作りにバーベキューなどなどにとお忙しい毎日を楽しんでおられるようです。
    今度そちらにお伺いするときは連絡差し上げてみたいと思います。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/28])

    なるほど、興味深いですね。
    史跡めぐりは好きですがテーマがあると面白くなりますよね。

    私の興味は今のところ古代です。
    国分は古代と先端技術がが同居している面白い場所です。
    私は日向市の生まれでれ宮崎市で暫く仕事して今は国分に住んでいます。。ここに来た時に宮崎神話と思っていた海幸彦山幸彦の主人公の御陵が近くにあったのが興味を持ち始めた発端です。

    永野さんおブログを拝見しました。国分方面にも良く来られているのですね。こんど来られるときはご連絡ください。時間があえばお会いしたいものです。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/28])

     ご返事ありがとうございます。800年前の話、やはり無理ですね。
    俊寛が実際にこれらのルートを通って流されたかどうかは事実ではないのではと思いますが、長門本を書いた作者(複数かも)は本に出てくる地名を知っていたと思われますし、この本が書かれた当時はこのルートが一般的によく知られていたものと思われます。
     俊寛らが出港した港はまずは隼人のAZの近くの港から、鹿児島に立ち寄り最終的には坊津からのようです。このことについては「広報きりしま」(何号かはメモしてなくて不明ですが最近です)の20ページに詳しい記載があります。
     私のブログ「宮崎(都城)からの便り」の中の史跡巡りまたはぶらり旅の欄にもコチョコチョと書いています。参考になれば・・・。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/26])

    あの足摺の俊寛ですか。俊寛が我が家のちかくを通っていたとは感慨深いものがあります。
    残念なが止上から財部への古道は判りません。今では国分と財部を結ぶ県道2号線が近いと思います。
    気色の森も近くにあります。

    俊寛が流刑地に向かって出港したという石碑が鹿児島市の天文館にあるそうなので、国分から加治木を通って白銀坂を登ったのでしょうか。
    私も機会があったら薩摩街道などを訪ね歩きたいと思います。

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