霧島の麓にて

霧島の麓から田舎暮らしの日々をつづります・・・山登り、短歌、そしてパソコンな日々

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【作物メモ】里芋 高温多湿を好み日本の風土にあった作物

   

里芋

里芋が大きな葉を広げ始めました。大きな葉っぱが折からの雨の水玉を葉っぱの上で転がしています。七夕も近いですが、昔は里芋の葉っぱに溜まった夜露で墨をすり短冊に願いを書いていたとか。里芋の梅雨は天の川の雫と言われていたそうですがロマンチックですね。

今年は畑の準備が遅かったので、里芋の植え付けも遅くなってしまいました。通常ではジャガイモよりも遅く4月から5月くらいにうえつけます。
ジャガイモに比べ収穫までに時間が掛かり半年くらいで収穫できます。

里芋は手のかからない作物です。高温多湿を好みますが、乾燥には弱いのでマルチを行い乾燥しないようにした方が良いと思います。ただ、マルチをすると追肥、土寄せが出来ないので最初に十分な施肥をしておきます。

土づくり、畝つくり

広めの畝を作ります。畝幅は70cm~1m位にします。土寄せをする場合は1m位の広めの畝にします。種イモの間隔は50cm程度。

植え付け

4月から5月にかけて植え付けます。寒さには弱いので霜の心配がなくなってからです。私はマルチを張るようにしています。種イモは浅めに植えていきます。すでに芽が出ているものでもよいです。

芽かき

2本以上の芽が出てきたら1本だけ残して他は引き抜きます。

土寄せ

土寄せと追肥をすると芋の生育がよくなり形の良い芋ができます。土寄せは数回にわけて行います。根元の方に追肥を撒き、その追肥にかぶせるように土をかぶせていきます。

1回目 発芽がそろった6月ころ
2回目 子芋が付き始める7月ころ
3回目 孫芋が付き始める8月ころ

収穫

10月から11月ころ、茎などが枯れ始めてきたら収穫です。試し掘りをして子芋の様子を見ながら収穫して行きましょう。

保存

乾燥と低温に弱いので新聞紙にくるむなどして段ボールや発泡スチロールの箱に入れておきます。
畑に埋める場合は日当たりがよく、水はけの良い所に50cm位の穴をほり、親芋、子芋をばらさずに逆さいれます。芋の上にワラなどをのせて土をかぶせます。これで次の植え付け時期まで保存ができます。

履歴メモ

5月5日 植え付け、マルチシートでマルチング
6月初旬~中旬 発芽、発芽までに時間がかかる

 - 菜園

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最近のコメント

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  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/30])

    永野さん、返事ありがとうございます。
    お会いできる日を楽しみにしております。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/30])

    おはようございます。パソコンに短歌に史跡巡りに山登りに米作りにバーベキューなどなどにとお忙しい毎日を楽しんでおられるようです。
    今度そちらにお伺いするときは連絡差し上げてみたいと思います。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/28])

    なるほど、興味深いですね。
    史跡めぐりは好きですがテーマがあると面白くなりますよね。

    私の興味は今のところ古代です。
    国分は古代と先端技術がが同居している面白い場所です。
    私は日向市の生まれでれ宮崎市で暫く仕事して今は国分に住んでいます。。ここに来た時に宮崎神話と思っていた海幸彦山幸彦の主人公の御陵が近くにあったのが興味を持ち始めた発端です。

    永野さんおブログを拝見しました。国分方面にも良く来られているのですね。こんど来られるときはご連絡ください。時間があえばお会いしたいものです。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/28])

     ご返事ありがとうございます。800年前の話、やはり無理ですね。
    俊寛が実際にこれらのルートを通って流されたかどうかは事実ではないのではと思いますが、長門本を書いた作者(複数かも)は本に出てくる地名を知っていたと思われますし、この本が書かれた当時はこのルートが一般的によく知られていたものと思われます。
     俊寛らが出港した港はまずは隼人のAZの近くの港から、鹿児島に立ち寄り最終的には坊津からのようです。このことについては「広報きりしま」(何号かはメモしてなくて不明ですが最近です)の20ページに詳しい記載があります。
     私のブログ「宮崎(都城)からの便り」の中の史跡巡りまたはぶらり旅の欄にもコチョコチョと書いています。参考になれば・・・。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/26])

    あの足摺の俊寛ですか。俊寛が我が家のちかくを通っていたとは感慨深いものがあります。
    残念なが止上から財部への古道は判りません。今では国分と財部を結ぶ県道2号線が近いと思います。
    気色の森も近くにあります。

    俊寛が流刑地に向かって出港したという石碑が鹿児島市の天文館にあるそうなので、国分から加治木を通って白銀坂を登ったのでしょうか。
    私も機会があったら薩摩街道などを訪ね歩きたいと思います。

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