霧島の麓にて

霧島の麓から田舎暮らしの日々をつづります・・・山登り、短歌、そしてパソコンな日々

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南日本短歌大会(第110回) 出詠募集中

   

短歌南日本短歌大会が4月25日に開催されます。

鹿児島には幾つかの短歌結社があります。その生い立ちや立場も様々です。全国区の結社の鹿児島支部的な結社もあれば、鹿児島で生まれ育ったローカルな結社もあります。また、写生を重んじる結社や、わが「にしき江」のように抒情を大切にする結社など歌風も様々です。

そういった鹿児島県内の短歌結社、歌人を束ねる組織として鹿児島歌人協会があります。その歌人協会が行うのが「南日本短歌大会」です。私も少しばかりお手伝いをしている大会です。「南日本短歌大会」は現在、県内7つの短歌結社が中心となって運営しています。

日常的には各々の結社内で活動することがほとんどで、他の結社と触れ合うことは少ないのが実情です。また、短歌愛好家でも結社に参加されていない方も多いのではないでしょうか。この南日本短歌大会は、そのような結社の枠を超えて、県内の歌人が触れ合う数少ない機会です。短歌愛好家の方は是非参加して頂きたいものです。

南日本短歌大会は皆さんの短歌を募集しています。毎回、県内外から200首を超える出詠があります。応募いただいた短歌は、当日大会に出席した方々の互選が行われます。互選の上位者と選者選、歌人協会賞が選出され表彰されます。

南日本短歌大会は出詠歌の批評研究会がメインです。各結社代表の選者と参加者で出詠歌を批評していきます。時には白熱した議論がかわされます。

3時間ばかりの時間では200首を超える短歌の全てを取り上げることは難しいですが、自分の短歌が取り上げられると嬉しいです。それぞれの歌風、考え方の違いがあったり、思いがけない発見があったりして参考になります。時には手厳しい意見を頂戴することもありますが、そういう時は良い勉強をしたと思う・・・ことにしています。

出詠の締め切りは4月3日です。短歌同好の方々の応募、参加をお待ちしております。なお、大会欠席者、県外在住者の応募もできます。

南日本短歌大会 出詠送付先

〒899-5656
鹿児島県姶良市西姶良1-1-6
谷口 洋子あて

会費 1,000円(当日徴収、欠席者は後日送金

 - 短歌

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  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/30])

    永野さん、返事ありがとうございます。
    お会いできる日を楽しみにしております。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/30])

    おはようございます。パソコンに短歌に史跡巡りに山登りに米作りにバーベキューなどなどにとお忙しい毎日を楽しんでおられるようです。
    今度そちらにお伺いするときは連絡差し上げてみたいと思います。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/28])

    なるほど、興味深いですね。
    史跡めぐりは好きですがテーマがあると面白くなりますよね。

    私の興味は今のところ古代です。
    国分は古代と先端技術がが同居している面白い場所です。
    私は日向市の生まれでれ宮崎市で暫く仕事して今は国分に住んでいます。。ここに来た時に宮崎神話と思っていた海幸彦山幸彦の主人公の御陵が近くにあったのが興味を持ち始めた発端です。

    永野さんおブログを拝見しました。国分方面にも良く来られているのですね。こんど来られるときはご連絡ください。時間があえばお会いしたいものです。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/28])

     ご返事ありがとうございます。800年前の話、やはり無理ですね。
    俊寛が実際にこれらのルートを通って流されたかどうかは事実ではないのではと思いますが、長門本を書いた作者(複数かも)は本に出てくる地名を知っていたと思われますし、この本が書かれた当時はこのルートが一般的によく知られていたものと思われます。
     俊寛らが出港した港はまずは隼人のAZの近くの港から、鹿児島に立ち寄り最終的には坊津からのようです。このことについては「広報きりしま」(何号かはメモしてなくて不明ですが最近です)の20ページに詳しい記載があります。
     私のブログ「宮崎(都城)からの便り」の中の史跡巡りまたはぶらり旅の欄にもコチョコチョと書いています。参考になれば・・・。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/26])

    あの足摺の俊寛ですか。俊寛が我が家のちかくを通っていたとは感慨深いものがあります。
    残念なが止上から財部への古道は判りません。今では国分と財部を結ぶ県道2号線が近いと思います。
    気色の森も近くにあります。

    俊寛が流刑地に向かって出港したという石碑が鹿児島市の天文館にあるそうなので、国分から加治木を通って白銀坂を登ったのでしょうか。
    私も機会があったら薩摩街道などを訪ね歩きたいと思います。

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