霧島の麓にて

霧島の麓から田舎暮らしの日々をつづります・・・山登り、短歌、そしてパソコンな日々

*

畑を耕して芋を植えました

   

畑 耕す前

1年休耕していた畑を借りたことは以前に書きました。
休耕していたので草原になっていた畑の草を草刈機で刈って、その草を畑の中で燃やして、ようやく耕せる状態になったのでトラクターで耕してもらって畑らしくなりました。

結構、広さがあるので草刈りなど大変でしたが、トラクターの威力は素晴らしいですね。1日に立派な畑に仕上がりました。

畑

ようやく作物を植えられる状態になったので、とりあえず芋類を植えることにしました。まず畝をたてて黒ビニールでマルチをします。マルチは何かと便利です。
まず黒ビニールで覆うので草が生えにくいです。なにかと時間の少ないサラリーマン農家にとっては草取りの手間を省けるのはありがたいです。
しかも、乾燥を防いでくれるので水やりが少なくて済みます。他にも泥はねによる病気防止など色々と頑張ってくれる黒ビニールのマルチです。
ただ、使用後の処分が厄介なのと、それなりのコスト増になります。

鍬1本で10m位の畝を作っていきます。ちょっと曲がっていますが、そこは愛嬌ということで。
マルチかけは黒ビニールをかけたあと両脇に土をかけていき風でめくれないようにしていきます。
隣の畑をみると綺麗な形の畝が真っ直ぐに出来ています。やはりプロの方はちがいますね。

畑

今回はジャガイモと里芋を植えました。

ジャガイモはちょっと遅めですが、成長が早いのでそこそこは育ってくれるでしょう。種イモがちょっと小さかったのが心配です。
10m位の畝を3本作って植えました。60個くらいは植えたと思います。

里芋はちょっと早い気もしましたが、4,5月は何かと忙しいので一緒に植えてしまいました。ことらもちょっと小さ目の種イモでしたが、ジャガイモと同じように3畝分植えました。

さて、次はさつま芋です。こちらもそろそろ植えないといけないです。ホームセンターなんかには、もうさつま芋の苗が売られています。
5月の連休頃には植えたいですね。

 - 菜園 , ,

adsense

adsense

最近のコメント

このブログでは記事ごとのコメントは設けておりません。
ご意見、ご感想などは、ゲストブックに書き込んでくださると有り難いです。


  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/30])

    永野さん、返事ありがとうございます。
    お会いできる日を楽しみにしております。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/30])

    おはようございます。パソコンに短歌に史跡巡りに山登りに米作りにバーベキューなどなどにとお忙しい毎日を楽しんでおられるようです。
    今度そちらにお伺いするときは連絡差し上げてみたいと思います。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/28])

    なるほど、興味深いですね。
    史跡めぐりは好きですがテーマがあると面白くなりますよね。

    私の興味は今のところ古代です。
    国分は古代と先端技術がが同居している面白い場所です。
    私は日向市の生まれでれ宮崎市で暫く仕事して今は国分に住んでいます。。ここに来た時に宮崎神話と思っていた海幸彦山幸彦の主人公の御陵が近くにあったのが興味を持ち始めた発端です。

    永野さんおブログを拝見しました。国分方面にも良く来られているのですね。こんど来られるときはご連絡ください。時間があえばお会いしたいものです。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/28])

     ご返事ありがとうございます。800年前の話、やはり無理ですね。
    俊寛が実際にこれらのルートを通って流されたかどうかは事実ではないのではと思いますが、長門本を書いた作者(複数かも)は本に出てくる地名を知っていたと思われますし、この本が書かれた当時はこのルートが一般的によく知られていたものと思われます。
     俊寛らが出港した港はまずは隼人のAZの近くの港から、鹿児島に立ち寄り最終的には坊津からのようです。このことについては「広報きりしま」(何号かはメモしてなくて不明ですが最近です)の20ページに詳しい記載があります。
     私のブログ「宮崎(都城)からの便り」の中の史跡巡りまたはぶらり旅の欄にもコチョコチョと書いています。参考になれば・・・。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/26])

    あの足摺の俊寛ですか。俊寛が我が家のちかくを通っていたとは感慨深いものがあります。
    残念なが止上から財部への古道は判りません。今では国分と財部を結ぶ県道2号線が近いと思います。
    気色の森も近くにあります。

    俊寛が流刑地に向かって出港したという石碑が鹿児島市の天文館にあるそうなので、国分から加治木を通って白銀坂を登ったのでしょうか。
    私も機会があったら薩摩街道などを訪ね歩きたいと思います。

  •   関連記事