霧島の麓にて

霧島の麓から田舎暮らしの日々をつづります・・・山登り、短歌、そしてパソコンな日々

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田舎暮らしを愉しむ講座 12月はハム・ベーコンとソバ打ち

   

ソバ打ち

がまこう庵での田舎料理教室です。10月、11月は農繁期につきお休みしたので、久々の田舎料理教室です。今回はハム・ベーコンつくり、そしてソバ打ちです。私としてはソバの収穫も終わったのでソバ打ちに期待大です。

まずは燻製・・・ハム・ベーコン作り

いつも通りに10時に行ったら、もうすでにハムの糸巻きが始まっていました。
下ごしらえは塩、コショウ、ハーブなどにつけ7日間つけこみます。毎日ひっくり返してじっくりとスパイス類を染み込ませたあと、流水で塩抜きをします。この作業は他に週の生徒さんがやっていてくれました。
今日はロース肉を形を整えながら糸巻きをするところからです。脂肪側の油肉の部分で赤肉を包むように形を整えながら丸い形に糸を巻いていきます。

ベーコン作り

ベーコンはバラ肉を同じようにスパイスに付け込んだ後に塩抜きをします。ハムと違い糸巻きはせずにそのまま吊るします。今回の参加者は20人なのでロース肉、バラ肉ともに20キロづつ用意されていました。ベーコン用のバラ肉は1頭分の片身という感じの随分と大きな塊です。

燻製小屋

幅0.5mx奥行2m弱x高さ2m弱という大きなスモーク室でハムとベーコンを燻製していきます。温度を60度くらいにするための薪ストーブと煙を出すための七輪が置いてありました。七輪に濡らした桜の輪切りをのせてドアをしめてしばし待ちます。

手作りハム

ハムは3時間ほど燻製した後、大きな鍋で1時間半ほどボイルします。
ベーコンは4時間ほど燻製しますが、ボイルはしません。
なのでハム、ベーコンが出来上がるのは同じくらいの時間になります。

いよいよ、ソバ打ち

燻製に時間が掛かるので、その間にソバ打ちです。
わが家のソバも収穫がおわり、あとは製粉するだけです。年の瀬も押し迫り年越しソバを自分で作ってみたいので興味津々です。

まずは水廻し。この作業が一番大切だということでした。
目安はソバ粉400gに対して水が180cc、粉の半分弱です。しかし、天候や蕎麦粉の乾燥度合いによって随分と変わるとのことで、最後は手の間隔に頼るしかないとのことです。水を半分ほど入れて粉を解すように満遍なく水廻しをしていきます。後は少しづつ水を加えながら調整していきます。

内側に押し込むように練っていき、へその部分をとがらせて円錐形にします。
その後、円錐のとんがりを押し潰し丸い形にします。
練り終わったら、掌で押えながら厚さが1cmくらいに丸く延ばしていきます。
次は延し棒をつかって更に薄く延ばして行きます。
最後に延し棒に巻き付けるようにして延ばし四隅をだして四角形に仕上げます。
この時点で随分と薄くなっています。

後は切るだけです。
延ばしたソバを四つ折りにして、専用の包丁で切っていきます。切った後、すこし包丁を傾けて定規をおくり、次の麺をきる塩梅です。なかなか上手にできません。
細打ちにし30秒ほどで茹で上げることで、香り豊かなソバに仕上がるとのことでした。

茹で上がったソバを皆で頂いた頃にハム、ベーコンが出来上がって今回の教室はお開きでした。

さぁ、ソバ粉が出来上がったら年越しそばを自分で作るぞぉ~。ソバの種蒔きからソバ打ちまで一気通貫の完成です。

メモ

・3たてそば 引きたて、打ちたて、茹でたて
・田舎そば 麺を一日おいて熟成したもの

・水廻し
一番大切。水足しは3回くらいがベスト
終盤は少しの水でガラリと様子が変わる
練り始めてから水加減を変えるのは大変
更科ソバは熱湯で行う

・練り
両手で押しつぶすことで空気を抜いていく
美味しいソバは薄い鶯色になる

・延ばし
両手で押して丸い形にする
新ソバは水を吸って固くなるので最初は柔らかめにすると良い。
角だしを4回して四角形にする
棒延ばしの時は手前に打ち粉をふる

・切る
延ばしたソバを4折にする(包丁の刃渡りによる)
上下の折り目は抑えつけない(割れる)
折る時に持ち上げると切れてしまう
切ったあと包丁を傾けることで刃送りをする
まな板の上にはしっかりと打ち粉をまく(クッションの役割をして完全に切れる)
切った後の打ち粉はしっかりと落とす

・茹
30秒で茹で上がるくらいに薄く、細く
短い茹で時間で香りが逃げない
ソバの栄養素は水溶性なので茹で汁(そば湯)が栄養豊富

打ち粉はソバ:コーンスターチが5:5
ソバ粉500gで5,6人分
販売しているソバ粉は、ほとんど中国産
中国産のソバ粉は粘りが少ない
二八ソバが普通

 - 田舎暮らし

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最近のコメント

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  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/30])

    永野さん、返事ありがとうございます。
    お会いできる日を楽しみにしております。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/30])

    おはようございます。パソコンに短歌に史跡巡りに山登りに米作りにバーベキューなどなどにとお忙しい毎日を楽しんでおられるようです。
    今度そちらにお伺いするときは連絡差し上げてみたいと思います。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/28])

    なるほど、興味深いですね。
    史跡めぐりは好きですがテーマがあると面白くなりますよね。

    私の興味は今のところ古代です。
    国分は古代と先端技術がが同居している面白い場所です。
    私は日向市の生まれでれ宮崎市で暫く仕事して今は国分に住んでいます。。ここに来た時に宮崎神話と思っていた海幸彦山幸彦の主人公の御陵が近くにあったのが興味を持ち始めた発端です。

    永野さんおブログを拝見しました。国分方面にも良く来られているのですね。こんど来られるときはご連絡ください。時間があえばお会いしたいものです。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/28])

     ご返事ありがとうございます。800年前の話、やはり無理ですね。
    俊寛が実際にこれらのルートを通って流されたかどうかは事実ではないのではと思いますが、長門本を書いた作者(複数かも)は本に出てくる地名を知っていたと思われますし、この本が書かれた当時はこのルートが一般的によく知られていたものと思われます。
     俊寛らが出港した港はまずは隼人のAZの近くの港から、鹿児島に立ち寄り最終的には坊津からのようです。このことについては「広報きりしま」(何号かはメモしてなくて不明ですが最近です)の20ページに詳しい記載があります。
     私のブログ「宮崎(都城)からの便り」の中の史跡巡りまたはぶらり旅の欄にもコチョコチョと書いています。参考になれば・・・。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/26])

    あの足摺の俊寛ですか。俊寛が我が家のちかくを通っていたとは感慨深いものがあります。
    残念なが止上から財部への古道は判りません。今では国分と財部を結ぶ県道2号線が近いと思います。
    気色の森も近くにあります。

    俊寛が流刑地に向かって出港したという石碑が鹿児島市の天文館にあるそうなので、国分から加治木を通って白銀坂を登ったのでしょうか。
    私も機会があったら薩摩街道などを訪ね歩きたいと思います。

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