霧島の麓にて

霧島の麓から田舎暮らしの日々をつづります・・・山登り、短歌、そしてパソコンな日々

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新燃岳 あの火口湖は・・・

      2018/07/03

新燃岳霧島連山のほぼ中央にあるのが新燃岳です。

ここが噴火したのが2011年1月26日です。もう4年になりますね。このブログの登山日誌には噴火前の新燃岳の記事がいくつかあります。当時は噴火前から入山禁止になっており、人気の霧島縦走もできない状態でしたが、そのおかげで噴火による人的被害は無かったと記憶しています。

新燃岳は今でも警戒レベル2で、周囲1Kmは立ち入り規制が続いています。新燃岳は霧島縦走路上にあるので、当然ながら縦走することはできません。人気のコースを楽しめないのは残念です。

新燃岳噴火

昨年の10月から韓国岳登山口にある硫黄山も火口周辺警報がでており、ここも立ち入りが規制されています。その規制で韓国岳への登山も大浪池から登る事しかできません。このところ桜島も爆発が多いようです。このあたりの火山は元気が良すぎて困ります。

新燃岳火口壁

新燃岳というと火口湖が独特の色でした。噴火する前でも所々、蒸気らしきものが上がっているところがありました。そんな噴出物などで、あのエメラルドグリーンの火口湖になっていたのでしょう。縦走路はそんな火口湖の縁を歩くようにあったので、疲れた登山者たちは突然現れる山上の海に疲れを癒されたことでしょう。

春になると、その火口壁がピンクに染まります。ミヤマキリシマです。ツツジのピンクと火口のグリーンが素晴らしいコントラストを見せてくれていました。その麓にはミツバツツジの群生があり、ここも素晴らしい風景をみせてくれました。ミヤマキリシマと違って樹高のあるミツバツツジはツツジのトンネルを作ってくれるのです。

ミツバツツジ

新燃岳の北側にあるのが大幡山です。その大幡山と新燃岳の間には広い草原があります。ここは春になると花畑になります。ミヤマキリシマはもちろん、ツルキジムシロの黄色い花や春リンドウの清楚な水色の花がいたるところに咲いていて素晴らしい風景でした。

今となっては何もかもが懐かしい風景です。あの火口湖は、あの花たちは、いったいどうなったのでしょうね。また、あの風景を望むことが出来るのでしょうかねぇ。

 - 山の風景

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  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/30])

    永野さん、返事ありがとうございます。
    お会いできる日を楽しみにしております。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/30])

    おはようございます。パソコンに短歌に史跡巡りに山登りに米作りにバーベキューなどなどにとお忙しい毎日を楽しんでおられるようです。
    今度そちらにお伺いするときは連絡差し上げてみたいと思います。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/28])

    なるほど、興味深いですね。
    史跡めぐりは好きですがテーマがあると面白くなりますよね。

    私の興味は今のところ古代です。
    国分は古代と先端技術がが同居している面白い場所です。
    私は日向市の生まれでれ宮崎市で暫く仕事して今は国分に住んでいます。。ここに来た時に宮崎神話と思っていた海幸彦山幸彦の主人公の御陵が近くにあったのが興味を持ち始めた発端です。

    永野さんおブログを拝見しました。国分方面にも良く来られているのですね。こんど来られるときはご連絡ください。時間があえばお会いしたいものです。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/28])

     ご返事ありがとうございます。800年前の話、やはり無理ですね。
    俊寛が実際にこれらのルートを通って流されたかどうかは事実ではないのではと思いますが、長門本を書いた作者(複数かも)は本に出てくる地名を知っていたと思われますし、この本が書かれた当時はこのルートが一般的によく知られていたものと思われます。
     俊寛らが出港した港はまずは隼人のAZの近くの港から、鹿児島に立ち寄り最終的には坊津からのようです。このことについては「広報きりしま」(何号かはメモしてなくて不明ですが最近です)の20ページに詳しい記載があります。
     私のブログ「宮崎(都城)からの便り」の中の史跡巡りまたはぶらり旅の欄にもコチョコチョと書いています。参考になれば・・・。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/26])

    あの足摺の俊寛ですか。俊寛が我が家のちかくを通っていたとは感慨深いものがあります。
    残念なが止上から財部への古道は判りません。今では国分と財部を結ぶ県道2号線が近いと思います。
    気色の森も近くにあります。

    俊寛が流刑地に向かって出港したという石碑が鹿児島市の天文館にあるそうなので、国分から加治木を通って白銀坂を登ったのでしょうか。
    私も機会があったら薩摩街道などを訪ね歩きたいと思います。

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