徐福伝説をご存知でしょうか。
以前、大きな徐福像が遥か大陸の方を向いて立っていたのを見たことがあります。
それは、それは、素晴らしく大きな徐福像でした。
場所は霊峰冠岳の麓です。
冠岳登山のおりに突然、巨大な徐福像が現れてビックリしたのを覚えています。
冠嶽はいちき串木野市にある山で、昔から霊山として崇められいました。いまでも神社や仙人岩、護摩岩などが当時の面影を残しています。
その山麓の徐福展望公園に高さ6メートルの巨大な徐福像があります。他にも徐福伝説にちなんだ冠嶽園という中国庭園もありトレッキング、歴史散策と楽しめます。
徐福伝説は古代史に興味のある方はご存知でしょう。
その伝説とは、秦の始皇帝に不老不死の仙薬を求め帰るように命を受けた徐福が、3000人の集団を引き連れて、東方の桃源郷日本へ旅立ったと言うものです。
さて、徐福らは無事に日本にたどり着いたのでしょうか。
件の徐福像は徐福一行が冠岳にたどり着いたという伝説に基づいています。
徐福一行は鹿児島の西海岸、串木野の照島海岸に上陸し、冠岳にたどり着いたというのです。
徐福渡来の伝説は鹿児島意外にも日本各地にあるようですね。
さて、その徐福が日本に向かったのは紀元前219年のことらしいのです。
日本では縄文後期から弥生時代の頃でしょうか。
司馬遷の史記に書いてあるそうです。
史記が書かれたのは紀元前100年の頃、一方、わが国の古事記、日本書紀が編纂されたのが720年頃です。
日本では、まだまだ、神話の世界の頃の話ですね。
もし、たどり着いていたのなら、古事記、日本書紀のネタくらいになっているかもしれませんね。
天孫降臨のニニギノミコトから三代を日向王朝というそうです。
その後、神武天皇の東征があり大和王朝の成立となります。
その日向王朝のさまざまな神話、伝説、伝承と徐福伝説を重ね合わせるとロマンが膨らみませんか。
中国でも徐福の存在はさまざまな説があるようです。
彼が古事記、日本書紀に登場するわけでもありませんが、もう一度、見に行きたくなりました。
冠岳の大きな徐福の像。