霧島の麓にて

霧島の麓から田舎暮らしの日々をつづります・・・山登り、短歌、そしてパソコンな日々

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俳句吟行 「かくれ里」はひっそりと紅葉を中に

   

かくれ里

あっと言う間に師走です。11月の俳句吟行の報告が月をまたいでしまいました。吟行先は人吉にあるか「かくれ里」です。

「かくれ里」は人吉の山深くにある温泉旅館です。宮崎県のえびの側から行くと加久藤峠を登り、加久藤トンネルを過ぎたところで左に折れ山中を10分ほど車で走ってやっとたどり着きます。まさに「かくれ里」という趣です。

隠れたき人多かりて冬の里(谺)

かくれ里 温泉

ここは良い温泉があり宿泊もできるのですが、今回は俳句吟行ということもあり日帰りです。前回もここで吟行をしたことがあります。前回は温泉にも入りました。温泉は湯船が木造で全面が広い窓になっています。まるで露連風呂のような解放感があります。前回も紅葉の季節だったので、窓越しに紅葉が映えて綺麗でした。
今回は句会までの時間があまりなく、作句に時間を使ってしまい温泉は断念しました。残念です。

紅葉を愛でる吟行ではありますが、季節は冬です。「紅葉」は秋の季語なので、そのまま使うわけにはいきません。この吟行の主催者は有季定型に少しばかりうるさい。いつも今の時期の吟行は苦労します。

かくれ里落葉のなかに密とあり(谺)

かくれ里 囲炉裏

さてさて、今回の食事は・・・焼き鳥です。「かくれ里」に入ると、まず囲炉裏が出迎えてくれます。私はしばし囲炉裏端に座り込んで、炭火の柔らかい暖かさに包まれておりました。榾(ほだ)の爆ぜる感じは身も心も温めてくれます。
その先にテーブルで七輪に地鶏をのせて焼きます。何もつけずに食べてちょうど良い塩梅に塩味が施してあります。
今日は車の運転をしなくて良いということで・・・焼酎を少々頂きました。地元熊本の米焼酎「しろ」です。普段は芋焼酎ばかりですが、米焼酎はあっさりとした舌触りで日本酒を飲んでいるような感じでした。あまり口当たりのよい焼酎はいけません。ついつい飲みすぎてしまいます。

かくれ里 食事

さて、12月は忘年句会です。例年と一緒で長島町に行く予定です。吟行の場面が山の里から海の里に変わります。こちらも海の幸が楽しみです。俳句の方は愛変わらずテゲテゲのままに今年が終わろうとしています。

 - 俳句

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  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/30])

    永野さん、返事ありがとうございます。
    お会いできる日を楽しみにしております。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/30])

    おはようございます。パソコンに短歌に史跡巡りに山登りに米作りにバーベキューなどなどにとお忙しい毎日を楽しんでおられるようです。
    今度そちらにお伺いするときは連絡差し上げてみたいと思います。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/28])

    なるほど、興味深いですね。
    史跡めぐりは好きですがテーマがあると面白くなりますよね。

    私の興味は今のところ古代です。
    国分は古代と先端技術がが同居している面白い場所です。
    私は日向市の生まれでれ宮崎市で暫く仕事して今は国分に住んでいます。。ここに来た時に宮崎神話と思っていた海幸彦山幸彦の主人公の御陵が近くにあったのが興味を持ち始めた発端です。

    永野さんおブログを拝見しました。国分方面にも良く来られているのですね。こんど来られるときはご連絡ください。時間があえばお会いしたいものです。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/28])

     ご返事ありがとうございます。800年前の話、やはり無理ですね。
    俊寛が実際にこれらのルートを通って流されたかどうかは事実ではないのではと思いますが、長門本を書いた作者(複数かも)は本に出てくる地名を知っていたと思われますし、この本が書かれた当時はこのルートが一般的によく知られていたものと思われます。
     俊寛らが出港した港はまずは隼人のAZの近くの港から、鹿児島に立ち寄り最終的には坊津からのようです。このことについては「広報きりしま」(何号かはメモしてなくて不明ですが最近です)の20ページに詳しい記載があります。
     私のブログ「宮崎(都城)からの便り」の中の史跡巡りまたはぶらり旅の欄にもコチョコチョと書いています。参考になれば・・・。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/26])

    あの足摺の俊寛ですか。俊寛が我が家のちかくを通っていたとは感慨深いものがあります。
    残念なが止上から財部への古道は判りません。今では国分と財部を結ぶ県道2号線が近いと思います。
    気色の森も近くにあります。

    俊寛が流刑地に向かって出港したという石碑が鹿児島市の天文館にあるそうなので、国分から加治木を通って白銀坂を登ったのでしょうか。
    私も機会があったら薩摩街道などを訪ね歩きたいと思います。

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