霧島の麓にて

霧島の麓から田舎暮らしの日々をつづります・・・山登り、短歌、そしてパソコンな日々

歴史散策

縄文の森 悠久の時間の果てにあるもの

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縄文の森縄文の森は国分にあります。上野原遺跡が発見された場所が展示館や広場になっていて、古代のロマンを感じたり、癒しを求めるて散策するには丁度よい場所になっています。
以前は近くに勤めている会社があったので昼休みなど散歩をしたりしていました。

なぜ縄文の森なのかというと、上野原遺跡から縄文前期(約9500年前)の竪穴式住居群や燻製を作った跡などが見つかったからです。その地層から出てきた種をしらべて同じ種類の木々を植えたのが縄文の森です。
9500年前と同じ木々にかこまれ、復元された竪穴式住居に入ってみると、まるでタイムスリップでもしたような感じです。

今は立派な施設がありますが、その前は野原に発掘途中の穴が、あちらこちらにあるような状態でした。その穴が竪穴式住居だったり、燻製を作ったと思われる連結土抗ということでした。

上野原遺跡は高台になっています。なぜ、縄文の人々は、こんな高台に集落をつくったのでしょうか。
このあたりは姶良カルデラの外輪山にあたり、鹿児島湾側が切り立っていて外輪山の縁になっています。その上は平らな原になっている独特な地形です。2万4千年まえの姶良大噴火で概ね今のような地形になったということです。となると9500年前の縄文の人たちは、わざわざこの高台を選んで集落をつくったのでしょうね。
とは言っても平野部などにも集落があって、この高台の集落がたまたま具合よく発見されたということでしょうけど。

縄文の森展示館

ここでは土器なども発見されており、それらが展示館に綺麗に整理されて展示してあります。
展示館は入り口をはいると足元がガラス張りになっており、その下に縄文の頃のジオラマがあります。まるで神様にでもなって見下ろしているみたいです。9500年前から続く悠久の時間が押し寄せてくるようです。

縄文の森

ほとんどの遺跡は埋め戻されているのですが、一部は地下展示の状態で見ることができます。地層の展示は10000年間の地層を目の前でみることができます。5m位の中に10000年が詰まっています。私の生きている時間など上っ面の砂の1粒位かもしれません。
他にも実際の(復元ではない)竪穴住居跡も一つだけ展示してあります。

年代別に並べられた展示品を順路にそってみていくと悠久に時間と、その長い長い時間の末にいる自分を感じます。歴史に興味のある方は悠久に時間を見つけるために。興味のない方は木々の中で憩を見つけるためにどうぞ。

3年ほど前、この縄文の森をテーマに短歌の連作をつくりました。
そのお披露目は後日にでも・・・見たくないかもしれませんけど。

 

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