霧島の麓にて

霧島の麓から田舎暮らしの日々をつづります・・・山登り、短歌、そしてパソコンな日々

*

高屋山陵 山幸彦の眠る山

      2015/06/03

高屋山稜

神代山稜の第二段は高屋山稜です。前回の可愛山稜でご紹介した瓊瓊杵尊の御子にあたる彦火火出見尊の御陵です。

海幸彦と山幸彦のお話をご存知ですか。古事記に出てくる神々の壮大な兄弟喧嘩のお話です。
天上からこの地上に降りてきた神様が瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)ですね。天孫降臨です。その瓊瓊杵尊の御子たちのお話です。

海幸彦(火照命)がお兄さん、山幸彦(彦火火出見尊)が弟です。
ある日、山幸彦がお兄さんの海幸彦の道具を借りて海に漁に出かけますが、その釣針を無くしてしまったことから争いがはじまります。

その山幸彦こと彦火火出見尊の御陵が高屋山上陵です。
高屋山稜は鹿児島空港の近くにあります。
空港から山手の方にしばらく進むと左手に溝辺町の上床公園がありますが、その道向かいにあります。

高屋山上陵

駐車場から伸びる、苔むした長い階段があります。
その階段を登っていくと、ちょっとした広場になっており奥に柵があります。その先が御陵で厳粛な趣です。

階段側と反対側にも駐車場があり、こちらからは急な階段を上らなくても御陵に行くことができます。

他にも彦火火出見尊御陵の伝承は宮崎などにもあるそうですが、明治になってこの地に定められたようです。こんな近くに山幸彦の御陵がある知ったときは驚きました。

その兄弟喧嘩ですが、弟の山幸彦が勝って天皇家へとつながり、負けた海幸彦は隼人族の祖となったといわれています。その勝ち負けは神社の扱いでも如実に表されいます。勝った彦火火出見尊の皇霊は霧島市の鹿児島神宮に祀られていますが、負けた火照命は鹿児島神宮の入り口の鳥居の神宮に向かって左手にある小さい祠に祀られいます。つまり、古代よりこの方、門番をさせられいるわけです。

高屋山上陵 アクセスマップ

31°49’30.4″N 130°41’32.6″E

 - 歴史散策 , ,

adsense

adsense

最近のコメント

このブログでは記事ごとのコメントは設けておりません。
ご意見、ご感想などは、ゲストブックに書き込んでくださると有り難いです。


  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/30])

    永野さん、返事ありがとうございます。
    お会いできる日を楽しみにしております。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/30])

    おはようございます。パソコンに短歌に史跡巡りに山登りに米作りにバーベキューなどなどにとお忙しい毎日を楽しんでおられるようです。
    今度そちらにお伺いするときは連絡差し上げてみたいと思います。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/28])

    なるほど、興味深いですね。
    史跡めぐりは好きですがテーマがあると面白くなりますよね。

    私の興味は今のところ古代です。
    国分は古代と先端技術がが同居している面白い場所です。
    私は日向市の生まれでれ宮崎市で暫く仕事して今は国分に住んでいます。。ここに来た時に宮崎神話と思っていた海幸彦山幸彦の主人公の御陵が近くにあったのが興味を持ち始めた発端です。

    永野さんおブログを拝見しました。国分方面にも良く来られているのですね。こんど来られるときはご連絡ください。時間があえばお会いしたいものです。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/28])

     ご返事ありがとうございます。800年前の話、やはり無理ですね。
    俊寛が実際にこれらのルートを通って流されたかどうかは事実ではないのではと思いますが、長門本を書いた作者(複数かも)は本に出てくる地名を知っていたと思われますし、この本が書かれた当時はこのルートが一般的によく知られていたものと思われます。
     俊寛らが出港した港はまずは隼人のAZの近くの港から、鹿児島に立ち寄り最終的には坊津からのようです。このことについては「広報きりしま」(何号かはメモしてなくて不明ですが最近です)の20ページに詳しい記載があります。
     私のブログ「宮崎(都城)からの便り」の中の史跡巡りまたはぶらり旅の欄にもコチョコチョと書いています。参考になれば・・・。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/26])

    あの足摺の俊寛ですか。俊寛が我が家のちかくを通っていたとは感慨深いものがあります。
    残念なが止上から財部への古道は判りません。今では国分と財部を結ぶ県道2号線が近いと思います。
    気色の森も近くにあります。

    俊寛が流刑地に向かって出港したという石碑が鹿児島市の天文館にあるそうなので、国分から加治木を通って白銀坂を登ったのでしょうか。
    私も機会があったら薩摩街道などを訪ね歩きたいと思います。

  •   関連記事