隼人塚と言えば、隼人町見次(みつぎ)の隼人塚が有名ですね。
見次塚には石塔、石造があり市の資料館もあります。
こちらは重久の隼人塚です。
重久の隼人塚は田圃の中に、ひっそりと石碑があるだけです。
訪れる人も殆ど無く、それが隼人塚と知る人も少ないと思います。
重久の隼人塚はハヤト族の首塚と言われています。
720年(養老4年)にハヤト族の大規模な反乱が起こります。
時の朝廷は大伴旅人を将軍に役1万人の大群を送って制圧したそうです。
そのときに斬首、捕虜にされた者が千四百余人と言われていますから、随分と犠牲者が出たのでしょうね。
近くには止上神社がありハヤト族の古来の神社とも言われています。
ハヤトがその戦いの最後に立て篭もったのが曽於岩城(そのいわき)と比売乃城(ひめのき)と言われ、姫城という地名が今も残っています。
姫城の岩山は、いかにも古の兵たちが立て篭もった感じの岩山です。
重久の隼人塚に立ち、止上神社を背に田圃を隔てた姫城の岩山を望むと、その昔、このあたりを闊歩していたであろう隼人の兵(つわもの)たちの姿が浮かんで来そうです。
大伴旅人は万葉集の歌人としても有名ですね。
隼人の瀬戸の巌も鮎走る吉野の瀧になほしかずけり
この「隼人の瀬戸」は阿久根と長島を分かつ急潮、黒之瀬戸とか。
彼は、随分とお酒が好きだったようで、こんな歌も。