霧島の麓にて

霧島の麓から田舎暮らしの日々をつづります・・・山登り、短歌、そしてパソコンな日々

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熊襲(くまそ)の穴に日本武尊を訪ねて

      2015/02/15

熊襲の洞窟

昔話は大好きです。
大ファンの坂本竜馬さんや竹中半兵衛さんの時代も好きですが、実はもっと、もっと昔の頃が大好きだったりします。

今日の主人公は日本武尊。

霧島連峰麓の妙見温泉を車でいくと「熊襲(くまそ)の穴」という大きな看板が目につきます。

熊襲の洞窟

ここはハヤト族の祖先である熊襲の首領が住んでいたと言われている場所です。
熊襲の首領といえば大和朝廷に叛き、日本武尊が征伐したカワカミタケルでしょうか。

道沿いの看板のところから80mくらい登っていきます。
入り口は、かがまないといれない位の狭い入り口です。
はいる前に右手のスイッチを押しておきましょう。
忘れると真っ暗な洞窟にはいることになります。

熊襲洞窟入口

洞窟内にはいると色とりどりの壁画が出迎えてくれます。
原色に彩られた壁画は、ま・さ・か・当時のものではないでしょう。
熊襲と呼ばれていたのは5世紀の頃ですからね。

熊襲の洞窟

しかし、入り口の狭いのですが中は思いのほか広いです。
100畳くらいはあるのでしょうか。
想像以上の広さに、想像外の壁画が現れてビックリします。
おくにはもっと広い洞窟があるそうですが、今は崩落していけません。

さて、ここで起こったという事件は・・・。

その頃、大和朝廷に逆らっていた熊襲を征伐にやってきたのが日本武尊ですよね。
熊襲の首領はカワカミタケルという大男だったということです。
日本武尊は単独で征伐したのですが、少々卑怯な方法だったとか。

女装して酒を勧め、酔ったところで隠し持った刃物で謀殺・・・。
しかし、カワカミタケルは瀕死の中で日本武尊に自分の名を贈ったそうですね。
それまではオウスノミコトだったんだそうです。
う~ん、だまし討ちに近い殺されかたなのに・・・。
理解できない・・・。

その日本武尊も父の景行天皇に疎まれて悲劇の英雄として名を残すことになります。
日本武尊は死んで白鳥となって飛び去ったと言い伝えられていますが、その白鳥が霧島の六観音池に姿をあらわしたと池の辺にある小さな社に記してありました。
六観音池も深い緑色をした綺麗な湖です。

熊襲の穴 アクセスマップ

31°48’50.0″N 130°45’21.8″E

 - 歴史散策

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  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/30])

    永野さん、返事ありがとうございます。
    お会いできる日を楽しみにしております。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/30])

    おはようございます。パソコンに短歌に史跡巡りに山登りに米作りにバーベキューなどなどにとお忙しい毎日を楽しんでおられるようです。
    今度そちらにお伺いするときは連絡差し上げてみたいと思います。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/28])

    なるほど、興味深いですね。
    史跡めぐりは好きですがテーマがあると面白くなりますよね。

    私の興味は今のところ古代です。
    国分は古代と先端技術がが同居している面白い場所です。
    私は日向市の生まれでれ宮崎市で暫く仕事して今は国分に住んでいます。。ここに来た時に宮崎神話と思っていた海幸彦山幸彦の主人公の御陵が近くにあったのが興味を持ち始めた発端です。

    永野さんおブログを拝見しました。国分方面にも良く来られているのですね。こんど来られるときはご連絡ください。時間があえばお会いしたいものです。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/28])

     ご返事ありがとうございます。800年前の話、やはり無理ですね。
    俊寛が実際にこれらのルートを通って流されたかどうかは事実ではないのではと思いますが、長門本を書いた作者(複数かも)は本に出てくる地名を知っていたと思われますし、この本が書かれた当時はこのルートが一般的によく知られていたものと思われます。
     俊寛らが出港した港はまずは隼人のAZの近くの港から、鹿児島に立ち寄り最終的には坊津からのようです。このことについては「広報きりしま」(何号かはメモしてなくて不明ですが最近です)の20ページに詳しい記載があります。
     私のブログ「宮崎(都城)からの便り」の中の史跡巡りまたはぶらり旅の欄にもコチョコチョと書いています。参考になれば・・・。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/26])

    あの足摺の俊寛ですか。俊寛が我が家のちかくを通っていたとは感慨深いものがあります。
    残念なが止上から財部への古道は判りません。今では国分と財部を結ぶ県道2号線が近いと思います。
    気色の森も近くにあります。

    俊寛が流刑地に向かって出港したという石碑が鹿児島市の天文館にあるそうなので、国分から加治木を通って白銀坂を登ったのでしょうか。
    私も機会があったら薩摩街道などを訪ね歩きたいと思います。

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