昔話は大好きです。
大ファンの坂本竜馬さんや竹中半兵衛さんの時代も好きですが、実はもっと、もっと昔の頃が大好きだったりします。
今日の主人公は日本武尊。
霧島連峰麓の妙見温泉を車でいくと「熊襲(くまそ)の穴」という大きな看板が目につきます。
ここはハヤト族の祖先である熊襲の首領が住んでいたと言われている場所です。
熊襲の首領といえば大和朝廷に叛き、日本武尊が征伐したカワカミタケルでしょうか。
道沿いの看板のところから80mくらい登っていきます。
入り口は、かがまないといれない位の狭い入り口です。
はいる前に右手のスイッチを押しておきましょう。
忘れると真っ暗な洞窟にはいることになります。
洞窟内にはいると色とりどりの壁画が出迎えてくれます。
原色に彩られた壁画は、ま・さ・か・当時のものではないでしょう。
熊襲と呼ばれていたのは5世紀の頃ですからね。
しかし、入り口の狭いのですが中は思いのほか広いです。
100畳くらいはあるのでしょうか。
想像以上の広さに、想像外の壁画が現れてビックリします。
おくにはもっと広い洞窟があるそうですが、今は崩落していけません。
さて、ここで起こったという事件は・・・。
その頃、大和朝廷に逆らっていた熊襲を征伐にやってきたのが日本武尊ですよね。
熊襲の首領はカワカミタケルという大男だったということです。
日本武尊は単独で征伐したのですが、少々卑怯な方法だったとか。
女装して酒を勧め、酔ったところで隠し持った刃物で謀殺・・・。
しかし、カワカミタケルは瀕死の中で日本武尊に自分の名を贈ったそうですね。
それまではオウスノミコトだったんだそうです。
う~ん、だまし討ちに近い殺されかたなのに・・・。
理解できない・・・。
その日本武尊も父の景行天皇に疎まれて悲劇の英雄として名を残すことになります。
日本武尊は死んで白鳥となって飛び去ったと言い伝えられていますが、その白鳥が霧島の六観音池に姿をあらわしたと池の辺にある小さな社に記してありました。
六観音池も深い緑色をした綺麗な湖です。