方喰が狭庭でひっそり初舞台ここで生きると空を見上げつ
華やかな園芸種の花々も良いですが、私は素朴な野の花の方が好きです。カタバミなど雑草の代表のように言われますが、なかなか綺麗な花を咲かせてくれます。
写真のカタバミは庭の隅に咲いていたものです。如何ですか、舞台の真ん中にすくっと立ったバレリーナのようにも見えませんか。
後ろのの白い花は花ニラです。カタバミのバックに華やかさを添えています。
植物は動けません。当たり前ですけど。だから彼女らは芽だったところで生きるしかないのです。草原であっても、狭庭辺であっても、ドブの縁であったも。
そう思うと写真のカタバミように花をつけ、その花をお日さまのほうに向けて精一杯伸ばしている姿は、愛おしくも覚悟のようなものを感じます。
まぁ、いわゆる雑草ごときに「生の覚悟」を感じてもしようがない気もしますが、裏返せば自分に無いからこそ、そんな気配に驚くのでしょう。
私だったらさしずめ・・・「お日さまの一杯ある草原に芽だったら、きっと綺麗な花を咲かせられるだろうなぁ」などと妄想の中に漂っていることでしょう。
とある俳人から「俳句をすると花や風と話ができるようになる」と言われたことがあります。たしかにそうだと思います。感受性が高まるのだろうと思います。
俳句はあまり擬人法など使いませんが、短歌では擬人法を含め比喩をよく使います。草木を擬人化したりするのを重ねると、草木の声が聞こえるようになるのかもしれません。当然、それは自分の思いのエコーなのですが。