カタバミの覚悟 擬人法は雑草と話ができる魔法・・・かも
方喰が狭庭でひっそり初舞台ここで生きると空を見上げつ
華やかな園芸種の花々も良いですが、私は素朴な野の花の方が好きです。カタバミなど雑草の代表のように言われますが、なかなか綺麗な花を咲かせてくれます。
写真のカタバミは庭の隅に咲いていたものです。如何ですか、舞台の真ん中にすくっと立ったバレリーナのようにも見えませんか。
後ろのの白い花は花ニラです。カタバミのバックに華やかさを添えています。
植物は動けません。当たり前ですけど。だから彼女らは芽だったところで生きるしかないのです。草原であっても、狭庭辺であっても、ドブの縁であったも。
そう思うと写真のカタバミように花をつけ、その花をお日さまのほうに向けて精一杯伸ばしている姿は、愛おしくも覚悟のようなものを感じます。
まぁ、いわゆる雑草ごときに「生の覚悟」を感じてもしようがない気もしますが、裏返せば自分に無いからこそ、そんな気配に驚くのでしょう。
私だったらさしずめ・・・「お日さまの一杯ある草原に芽だったら、きっと綺麗な花を咲かせられるだろうなぁ」などと妄想の中に漂っていることでしょう。
とある俳人から「俳句をすると花や風と話ができるようになる」と言われたことがあります。たしかにそうだと思います。感受性が高まるのだろうと思います。
俳句はあまり擬人法など使いませんが、短歌では擬人法を含め比喩をよく使います。草木を擬人化したりするのを重ねると、草木の声が聞こえるようになるのかもしれません。当然、それは自分の思いのエコーなのですが。
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最近のコメント
永野さん、返事ありがとうございます。
お会いできる日を楽しみにしております。
おはようございます。パソコンに短歌に史跡巡りに山登りに米作りにバーベキューなどなどにとお忙しい毎日を楽しんでおられるようです。
今度そちらにお伺いするときは連絡差し上げてみたいと思います。
なるほど、興味深いですね。
史跡めぐりは好きですがテーマがあると面白くなりますよね。
私の興味は今のところ古代です。
国分は古代と先端技術がが同居している面白い場所です。
私は日向市の生まれでれ宮崎市で暫く仕事して今は国分に住んでいます。。ここに来た時に宮崎神話と思っていた海幸彦山幸彦の主人公の御陵が近くにあったのが興味を持ち始めた発端です。
永野さんおブログを拝見しました。国分方面にも良く来られているのですね。こんど来られるときはご連絡ください。時間があえばお会いしたいものです。
ご返事ありがとうございます。800年前の話、やはり無理ですね。
俊寛が実際にこれらのルートを通って流されたかどうかは事実ではないのではと思いますが、長門本を書いた作者(複数かも)は本に出てくる地名を知っていたと思われますし、この本が書かれた当時はこのルートが一般的によく知られていたものと思われます。
俊寛らが出港した港はまずは隼人のAZの近くの港から、鹿児島に立ち寄り最終的には坊津からのようです。このことについては「広報きりしま」(何号かはメモしてなくて不明ですが最近です)の20ページに詳しい記載があります。
私のブログ「宮崎(都城)からの便り」の中の史跡巡りまたはぶらり旅の欄にもコチョコチョと書いています。参考になれば・・・。
あの足摺の俊寛ですか。俊寛が我が家のちかくを通っていたとは感慨深いものがあります。
残念なが止上から財部への古道は判りません。今では国分と財部を結ぶ県道2号線が近いと思います。
気色の森も近くにあります。
俊寛が流刑地に向かって出港したという石碑が鹿児島市の天文館にあるそうなので、国分から加治木を通って白銀坂を登ったのでしょうか。
私も機会があったら薩摩街道などを訪ね歩きたいと思います。