霧島の麓にて

霧島の麓から田舎暮らしの日々をつづります・・・山登り、短歌、そしてパソコンな日々

*

【転載】取り込む俳句と吐き出す短歌

      2018/09/04

 テレビ番組で俳句の毒舌批評が人気を博しているようだ。有名な方々の俳句に容赦なく赤を入れていく姿は時に爽快である。その毒舌俳句先生こと夏井さんと同じ師をもつ方から、時折吟行に誘われる。俳句の方々は吟行が好きである。私としては即詠が苦手なのだが、吟行先での食事が楽しみでひょこひょこと後ろからついていく。もちろん吟行についていって食事だけという訳にはいかず、四苦八苦の末に下手な俳句を披露するはめになる。

 俳句には季語がある。とくに私を誘ってくれる方々は季語に厳しい。立冬を1日でも過ぎたら秋の季語は不可である。鹿児島の紅葉は遅いので、紅葉を愛でる吟行で秋の季語である「紅葉」を使えないのだ。そんな不自由な季語であるが、その分、俳句の方々は自然の表情、四季の移ろいに敏感である。花鳥風月を捉えて上手に17音にのせる。

柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺

ご存知、正岡子規の名句である。茶屋で柿を食べると法隆寺の鐘が鳴り、その響きに秋を感じたという句意だ。時間は夕暮れかと思う。柿の朱色とあいまって暖色の古都、古刹の景が鮮明に顕ちあがってくる。

瓶にさす藤の花ぶさみじかければ たたみの上にとどかざりけり

こちらも子規である。子規の晩年の歌で、病床から花瓶に活けられた藤の花を見上げている。そもそも藤の花を畳に届くように活ける人はいないであろう。そこにあえて「とどかざりけり」と詠むのは無念さであろう。己が生の短さを藤の花に託している。心情の吐露である。

 さて、ここで「取り込む俳句と吐き出す短歌」という話になる。外に出て自然と語らいながら詠む俳句と、家の中でじっくりと内面を見つめて詠む短歌である。そう考えると、たった14文字の違いだが、短歌はその14文字分だけ散文的なのかもしれない。

 俳句の吟行に参加していると、俳句に言い足らない歯がゆさを感じることがる。その歯がゆさは、私が短歌の世界にいるからであろう。逆に俳句の世界からみると、短歌は重苦しい冗長さを感じるのかもしれない。外の世界を捉えて17文字の形に取り込んでしまう俳句。内の世界を見詰めて31の形にして外に出していく短歌。そして、おのおの外と内とを仲介するのが言葉、文字ということであろうか。

 ある方から短歌と俳句は世界が違うから、両方するといけなと言われたことがる。しかし、回りをみていると両方している人も結構いるようだ。私は短歌の世界の住人で、時折、俳句の世界を覗き見るような感じだが、その違いは文字数の違い以上のものを感じる。「知的抒情」、「知的」は残念ながら持ち合わせがないが、「抒情」の方は大切にしていきたい。

短歌誌「にしき江(時点)」より転載

 - 短歌

adsense

adsense

最近のコメント

このブログでは記事ごとのコメントは設けておりません。
ご意見、ご感想などは、ゲストブックに書き込んでくださると有り難いです。


  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/30])

    永野さん、返事ありがとうございます。
    お会いできる日を楽しみにしております。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/30])

    おはようございます。パソコンに短歌に史跡巡りに山登りに米作りにバーベキューなどなどにとお忙しい毎日を楽しんでおられるようです。
    今度そちらにお伺いするときは連絡差し上げてみたいと思います。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/28])

    なるほど、興味深いですね。
    史跡めぐりは好きですがテーマがあると面白くなりますよね。

    私の興味は今のところ古代です。
    国分は古代と先端技術がが同居している面白い場所です。
    私は日向市の生まれでれ宮崎市で暫く仕事して今は国分に住んでいます。。ここに来た時に宮崎神話と思っていた海幸彦山幸彦の主人公の御陵が近くにあったのが興味を持ち始めた発端です。

    永野さんおブログを拝見しました。国分方面にも良く来られているのですね。こんど来られるときはご連絡ください。時間があえばお会いしたいものです。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/28])

     ご返事ありがとうございます。800年前の話、やはり無理ですね。
    俊寛が実際にこれらのルートを通って流されたかどうかは事実ではないのではと思いますが、長門本を書いた作者(複数かも)は本に出てくる地名を知っていたと思われますし、この本が書かれた当時はこのルートが一般的によく知られていたものと思われます。
     俊寛らが出港した港はまずは隼人のAZの近くの港から、鹿児島に立ち寄り最終的には坊津からのようです。このことについては「広報きりしま」(何号かはメモしてなくて不明ですが最近です)の20ページに詳しい記載があります。
     私のブログ「宮崎(都城)からの便り」の中の史跡巡りまたはぶらり旅の欄にもコチョコチョと書いています。参考になれば・・・。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/26])

    あの足摺の俊寛ですか。俊寛が我が家のちかくを通っていたとは感慨深いものがあります。
    残念なが止上から財部への古道は判りません。今では国分と財部を結ぶ県道2号線が近いと思います。
    気色の森も近くにあります。

    俊寛が流刑地に向かって出港したという石碑が鹿児島市の天文館にあるそうなので、国分から加治木を通って白銀坂を登ったのでしょうか。
    私も機会があったら薩摩街道などを訪ね歩きたいと思います。

  •   関連記事