霧島の麓にて

霧島の麓から田舎暮らしの日々をつづります・・・山登り、短歌、そしてパソコンな日々

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正岡子規の短歌

   

藤の花歴史小説が大好きです。中でも司馬遼太郎の大ファンです。司馬遼太郎と言えば「坂の上の雲」です。そして今、NHKがかって放送した「坂の上の雲」をレンタルで見ています。

ご存知のとおり、「坂の上の雲」は日露戦争を舞台にした物語で、日本海海戦などで活躍する秋山兄弟、短歌・俳句の中興の祖とも言える正岡子規が主人公です。

と言うことで、正岡子規の短歌を取り上げたいと思います。

瓶にさす藤の花ぶさみじかければ たたみの上にとどかざりけり

有名な短歌です。私如きが云々するべきではないのでしょうが、まぁ、許して頂きたい。
正岡子規は写生を重んじた歌人ですので、淡々と情景を短歌にしているのですが、この歌で良く持ち出されるのが視点です。つまり、花瓶にさしてある藤の花を見上げていると。そこで子規は病に伏しているのではないかと想像する。はたして、その通りで多くの方がご存知の事です。

さて、次の短歌は如何でしょう。

手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が

こちらも有名な短歌です。川野裕子氏の辞世の歌ともあります。川野氏の歌は抒情豊かで、その想いがストレートに表現されています。

しかし、如何でしょうか。淡々と藤の花を写生している子規の短歌と、思いをそののまま表現してる川野氏の短歌が雰囲気が似ていると思うのです。二人とも何かを求めているのにたどり着けない。たどり着くのに必要な時間がない。そんな切ない想いです。

子規はただ藤の花が短くて畳に届いていないと詠んでいるだけです。そもそも藤の花を畳に届くように活ける人はいないでしょう。しかし、あえて結句に「とどかざりけり」ともってきたのは、そのような無念さがあるような気がします。

「坂の上の雲」のドラマの中で、子規が病床についている場面は壮絶です。この場面をみると、この短歌のことを考えてしまします。この短歌について私如きが云々することもないのですが、大好きな「坂の上の雲」を見た感想としてつれづれに。

ちなみに子規の辞世の句は「糸瓜咲て痰のつまりし仏かな」「痰一斗糸瓜の水も間にあはず」「をとゝひのへちまの水も取らざりき」の三句。

 - 短歌

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  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/30])

    永野さん、返事ありがとうございます。
    お会いできる日を楽しみにしております。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/30])

    おはようございます。パソコンに短歌に史跡巡りに山登りに米作りにバーベキューなどなどにとお忙しい毎日を楽しんでおられるようです。
    今度そちらにお伺いするときは連絡差し上げてみたいと思います。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/28])

    なるほど、興味深いですね。
    史跡めぐりは好きですがテーマがあると面白くなりますよね。

    私の興味は今のところ古代です。
    国分は古代と先端技術がが同居している面白い場所です。
    私は日向市の生まれでれ宮崎市で暫く仕事して今は国分に住んでいます。。ここに来た時に宮崎神話と思っていた海幸彦山幸彦の主人公の御陵が近くにあったのが興味を持ち始めた発端です。

    永野さんおブログを拝見しました。国分方面にも良く来られているのですね。こんど来られるときはご連絡ください。時間があえばお会いしたいものです。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/28])

     ご返事ありがとうございます。800年前の話、やはり無理ですね。
    俊寛が実際にこれらのルートを通って流されたかどうかは事実ではないのではと思いますが、長門本を書いた作者(複数かも)は本に出てくる地名を知っていたと思われますし、この本が書かれた当時はこのルートが一般的によく知られていたものと思われます。
     俊寛らが出港した港はまずは隼人のAZの近くの港から、鹿児島に立ち寄り最終的には坊津からのようです。このことについては「広報きりしま」(何号かはメモしてなくて不明ですが最近です)の20ページに詳しい記載があります。
     私のブログ「宮崎(都城)からの便り」の中の史跡巡りまたはぶらり旅の欄にもコチョコチョと書いています。参考になれば・・・。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/26])

    あの足摺の俊寛ですか。俊寛が我が家のちかくを通っていたとは感慨深いものがあります。
    残念なが止上から財部への古道は判りません。今では国分と財部を結ぶ県道2号線が近いと思います。
    気色の森も近くにあります。

    俊寛が流刑地に向かって出港したという石碑が鹿児島市の天文館にあるそうなので、国分から加治木を通って白銀坂を登ったのでしょうか。
    私も機会があったら薩摩街道などを訪ね歩きたいと思います。

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