霧島の麓にて

霧島の麓から田舎暮らしの日々をつづります・・・山登り、短歌、そしてパソコンな日々

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にしき江全国大会開催 101年を迎えた鹿児島の短歌結社

   

にしき江大会

昨日、5月14日に、私の参加している短歌結社「にしき江」の全国大会がありました。今年から運営側という事で、事前準備や当日の受け持ちなど少しばかりバタバタしておりました。大会が終わるまで、何かと落ち着かない日々でしたが、ようやく終わったという感じです。

今年は101回全国大会です。昨年の100周年記念全国大会の大イベントの後ということで、今年の参加者減少が危ぶまれましたが、140名を超える参加者があり盛況でした。
全国大会といっても鹿児島の短歌結社なので鹿児島の方がほとんどですが、近隣の県や関東地方などかも参加があります。

大会では主宰者の挨拶などの後に結社賞、新人賞などの表彰がありました。
事前に出詠していた短歌の互選もあり、上位者表彰もありました。ちなみに私の短歌は選外です・・・とほほ。

今までの大会では表彰の後に公演があったりしたのですが、今回は合同歌会が開催されました。

にしき江には40近くの歌会があります。中には歌会に所属せずに歌誌に投稿する方もいらっしゃいますが、ほとんどの同人はそれぞれの歌会の中で活動しているわけです。その同人たちが年に1回、一堂に集まるのが全国大会という事になります。

合同歌会では参加者が予め互選用に出詠していた短歌を評者が批評、解説を行い、参加者が意見、質問を行う形式で行われました。
私はその短歌のスライド担当でした。スライドをパワーポイントで作り、大会でパソコン操作をしました。デスクトップパソコンで作ったスライドをノートに写したときに表示がずれて焦りましたが、なんとか間に合いました。

日頃は会えない他の歌会の方々と出会いがあったり、色々なお話もできて楽しい1日でした。わが結社の最大イベントが無事に終了してホッとしています。今日から日常の短歌生活に戻ります。

さて、次は田植えです。初めての稲作り。

 - 短歌 ,

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  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/30])

    永野さん、返事ありがとうございます。
    お会いできる日を楽しみにしております。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/30])

    おはようございます。パソコンに短歌に史跡巡りに山登りに米作りにバーベキューなどなどにとお忙しい毎日を楽しんでおられるようです。
    今度そちらにお伺いするときは連絡差し上げてみたいと思います。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/28])

    なるほど、興味深いですね。
    史跡めぐりは好きですがテーマがあると面白くなりますよね。

    私の興味は今のところ古代です。
    国分は古代と先端技術がが同居している面白い場所です。
    私は日向市の生まれでれ宮崎市で暫く仕事して今は国分に住んでいます。。ここに来た時に宮崎神話と思っていた海幸彦山幸彦の主人公の御陵が近くにあったのが興味を持ち始めた発端です。

    永野さんおブログを拝見しました。国分方面にも良く来られているのですね。こんど来られるときはご連絡ください。時間があえばお会いしたいものです。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/28])

     ご返事ありがとうございます。800年前の話、やはり無理ですね。
    俊寛が実際にこれらのルートを通って流されたかどうかは事実ではないのではと思いますが、長門本を書いた作者(複数かも)は本に出てくる地名を知っていたと思われますし、この本が書かれた当時はこのルートが一般的によく知られていたものと思われます。
     俊寛らが出港した港はまずは隼人のAZの近くの港から、鹿児島に立ち寄り最終的には坊津からのようです。このことについては「広報きりしま」(何号かはメモしてなくて不明ですが最近です)の20ページに詳しい記載があります。
     私のブログ「宮崎(都城)からの便り」の中の史跡巡りまたはぶらり旅の欄にもコチョコチョと書いています。参考になれば・・・。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/26])

    あの足摺の俊寛ですか。俊寛が我が家のちかくを通っていたとは感慨深いものがあります。
    残念なが止上から財部への古道は判りません。今では国分と財部を結ぶ県道2号線が近いと思います。
    気色の森も近くにあります。

    俊寛が流刑地に向かって出港したという石碑が鹿児島市の天文館にあるそうなので、国分から加治木を通って白銀坂を登ったのでしょうか。
    私も機会があったら薩摩街道などを訪ね歩きたいと思います。

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