霧島の麓にて

霧島の麓から田舎暮らしの日々をつづります・・・山登り、短歌、そしてパソコンな日々

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砂粒ほどの生きざま

   

縄文の森

私は宮崎県北部の小さな漁村で生まれ育った。仕事の都合で国分の地に来てから25年になる。早いものである。 国分は面白い町だと思った。ここは古の史跡と最先端の工場たちが寄り添っている。電子部品を作っているハイテク工場などがある一方で、隼人族の塚や日向三代の御陵がすぐ近くにあったりする。歴史、それも古代史に興味がある私にとっては、非常に興味深い場所だった。

暫くして、仕事場が上野原テクノパーク内に移った。ここはご存知のとおり上野原遺跡が発掘され、今は縄文の森として整備されている。ここもまた古代と先端が寄り添っていた。

<縄文の民の頭上に杭をうち工場建てれば現となりぬ>
上野原テクノパークは半分が「縄文の森」であり、残りが工業団地である。その先端工場の地下にも縄文の民の足跡、想いが埋まっているのかもしれない。

<靴底の砂粒ほどを生きてをり 二万四千年の時を超えつつ>
二万四千年の地層展示は、その悠久の時の長さに比べると小さく感じる。はたして私の齢など、その上っ面の砂粒一つくらいではないか。

<哀しみは愛しみにして一粒の砂となりたり縄文の民>
地層の上っ面が私の時ならば、底の方にあるのが縄文の民の時である。彼らもまた砂粒一つくらいの時間を精一杯生きたのであろう。そんな砂粒ほどの生きざまの積み重ねが、今日にまで連なっている。

(私の書いた文が、今日付けの南日本新聞、俳歌吟遊コーナーに掲載されたので転載しました。)

 - エッセイ, 短歌

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  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/30])

    永野さん、返事ありがとうございます。
    お会いできる日を楽しみにしております。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/30])

    おはようございます。パソコンに短歌に史跡巡りに山登りに米作りにバーベキューなどなどにとお忙しい毎日を楽しんでおられるようです。
    今度そちらにお伺いするときは連絡差し上げてみたいと思います。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/28])

    なるほど、興味深いですね。
    史跡めぐりは好きですがテーマがあると面白くなりますよね。

    私の興味は今のところ古代です。
    国分は古代と先端技術がが同居している面白い場所です。
    私は日向市の生まれでれ宮崎市で暫く仕事して今は国分に住んでいます。。ここに来た時に宮崎神話と思っていた海幸彦山幸彦の主人公の御陵が近くにあったのが興味を持ち始めた発端です。

    永野さんおブログを拝見しました。国分方面にも良く来られているのですね。こんど来られるときはご連絡ください。時間があえばお会いしたいものです。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/28])

     ご返事ありがとうございます。800年前の話、やはり無理ですね。
    俊寛が実際にこれらのルートを通って流されたかどうかは事実ではないのではと思いますが、長門本を書いた作者(複数かも)は本に出てくる地名を知っていたと思われますし、この本が書かれた当時はこのルートが一般的によく知られていたものと思われます。
     俊寛らが出港した港はまずは隼人のAZの近くの港から、鹿児島に立ち寄り最終的には坊津からのようです。このことについては「広報きりしま」(何号かはメモしてなくて不明ですが最近です)の20ページに詳しい記載があります。
     私のブログ「宮崎(都城)からの便り」の中の史跡巡りまたはぶらり旅の欄にもコチョコチョと書いています。参考になれば・・・。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/26])

    あの足摺の俊寛ですか。俊寛が我が家のちかくを通っていたとは感慨深いものがあります。
    残念なが止上から財部への古道は判りません。今では国分と財部を結ぶ県道2号線が近いと思います。
    気色の森も近くにあります。

    俊寛が流刑地に向かって出港したという石碑が鹿児島市の天文館にあるそうなので、国分から加治木を通って白銀坂を登ったのでしょうか。
    私も機会があったら薩摩街道などを訪ね歩きたいと思います。

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