霧島の麓にて

霧島の麓から田舎暮らしの日々をつづります・・・山登り、短歌、そしてパソコンな日々

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もうすぐ大寒 農閑期のお仕事

   

玉ねぎ

南国でも、暖冬でも、やっぱり冬は寒い。来週あたりはいよいよ寒くなりそうです。天気予報をみると火曜日あたりに雪マークがありました。

1月20日(水曜日)は大寒です。やはり大寒の頃が一番寒いのでしょうね。
今年は小寒が1月5日、立春が2月4日なので1月5日から2月3日が、いわゆる寒の期間ということになります。私の一番苦手な季節です。

寒の頃には畑や田んぼは、あまりすることがありません。
野菜たちも寒いのは苦手なようで畑は空いている所が目立ちます。霜が降りてからは寒さに弱い野菜達は枯れてしまいました。

今、畑にあるのは時期の遅れた白菜とカブ、寒さに縮こまっているほうれん草です。
ニンニクと玉ねぎは霜にもめげずに葉っぱを空に向けていますが、成長はほとんどしていません。
ニンニクと玉ねぎは寒肥をすると良いですが、もう少し暖かくなって彼らが起きた頃に追肥をしようと思います。

玉ねぎの苗がいくつかちょん切られていました。根切り虫の仕業でしょう。畑を耕していると時々、白い芋虫のような虫が出て来ます。かわいそうですが、野菜をちょん切られては困るので駆除します。
今の畑は1年ほど何も作らずに荒れていたものです。一度荒らすと害虫も増えて、雑草も生えやすくなります。

昨日は天気も良かったので畑を耕しました。この時期に耕すことを寒おこしといいますね。寒起こしをすると土中の虫や病原菌を寒さにさらして少なくすることができます。土のなかで休眠中の宿根草を元気のないうちに掘り起こしたり、雑草の種の密度を低く抑える効果などもあるようです。

私は田んぼは耕していませんが、田んぼも寒起こしをしているところがあります。先日、家に配られてきた農協の機関紙を読んでいたら、ジャンボタニシの駆除に寒起こしが良いと書いてありました。土の中で休眠中のタニシを寒にさらして駆除するのだそうです。

野菜の多くは春のお彼岸の頃に種を植えます。田んぼの方も3月には稲苗の注文をしないといけません。週末農家といえども3月頃から忙しくなってきます。
しかし、本来は忙しくなる前から土の手入れはをしておかなくてはいけないのですね。寒くて外に出るのは億劫です。田んぼまで出来るかなぁ。

 - 菜園

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  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/30])

    永野さん、返事ありがとうございます。
    お会いできる日を楽しみにしております。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/30])

    おはようございます。パソコンに短歌に史跡巡りに山登りに米作りにバーベキューなどなどにとお忙しい毎日を楽しんでおられるようです。
    今度そちらにお伺いするときは連絡差し上げてみたいと思います。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/28])

    なるほど、興味深いですね。
    史跡めぐりは好きですがテーマがあると面白くなりますよね。

    私の興味は今のところ古代です。
    国分は古代と先端技術がが同居している面白い場所です。
    私は日向市の生まれでれ宮崎市で暫く仕事して今は国分に住んでいます。。ここに来た時に宮崎神話と思っていた海幸彦山幸彦の主人公の御陵が近くにあったのが興味を持ち始めた発端です。

    永野さんおブログを拝見しました。国分方面にも良く来られているのですね。こんど来られるときはご連絡ください。時間があえばお会いしたいものです。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/28])

     ご返事ありがとうございます。800年前の話、やはり無理ですね。
    俊寛が実際にこれらのルートを通って流されたかどうかは事実ではないのではと思いますが、長門本を書いた作者(複数かも)は本に出てくる地名を知っていたと思われますし、この本が書かれた当時はこのルートが一般的によく知られていたものと思われます。
     俊寛らが出港した港はまずは隼人のAZの近くの港から、鹿児島に立ち寄り最終的には坊津からのようです。このことについては「広報きりしま」(何号かはメモしてなくて不明ですが最近です)の20ページに詳しい記載があります。
     私のブログ「宮崎(都城)からの便り」の中の史跡巡りまたはぶらり旅の欄にもコチョコチョと書いています。参考になれば・・・。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/26])

    あの足摺の俊寛ですか。俊寛が我が家のちかくを通っていたとは感慨深いものがあります。
    残念なが止上から財部への古道は判りません。今では国分と財部を結ぶ県道2号線が近いと思います。
    気色の森も近くにあります。

    俊寛が流刑地に向かって出港したという石碑が鹿児島市の天文館にあるそうなので、国分から加治木を通って白銀坂を登ったのでしょうか。
    私も機会があったら薩摩街道などを訪ね歩きたいと思います。

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