霧島の麓にて

霧島の麓から田舎暮らしの日々をつづります・・・山登り、短歌、そしてパソコンな日々

*

6月の農作業(H28)

      2018/09/12

紫陽花

6月ですね。田植えが始まります。

6月4日
 田んぼの代作りをしました。来週が田植えの予定です。代つくりは田植え準備の最終段階です。田んぼに水を張って耕しします。最後は代かきがをして平らにして終わりです。
代作りをすることで水が漏れないようにすることと田植えに必要な平らな田んぼををつくります。去年より田んぼを1カ所多く作ったので1日でおわりませんでした。
 畑の方は後回しになりがちですがジャガイモの収穫をしました。あまり出来は良くなく小さい芋が多かったですが、そこそこの量がとれました。
ナス、ピーマン、トマト、トウモロコシに添え木をしてやりました。ほったらかしでかわいそうでしたが、これで落ち着いてくれると良いのですが。

6月12日
 いよいよ田植えです。今回は昨年よりも植え付けを増やしました。苗は普通米21箱+餅米2箱でちょどでした。余裕がないので来年は1箱増やした方が良いかもしれません。途中で田植え機が止まって業者さんきに来てもらいました。ガス欠になったときはオートコックボタンを10秒ほど押さないといけないそうです。プラグを交換して無事に始動できました。機械が動かないと何もできません。
 畑の方は夏になって草が多くなってきました。草刈りとササゲに網をかけてあげました。ゴボウ、ニンジンは順調に育って間引きです。田植えが終わったので後回しになっていた畑の世話をやってあげないといけません。

6月19日
 田植えが終わって1週間目、今日は除草剤を散布しました。去年と同じスケジュールです。田植えが終わったとたんに雨ばかりなので、今日は少しばかり水をおさえました。折角、除草剤を撒いたのに水と一緒に流れてしまっては台無しですから。
 畑の方は雨足が収まった夕方近くから行きました。トレイに種蒔きしていたゴマの移植です。思いのほか多くて2畝にもなりました。概ね60本くらいです。草たちが随分と元気よくなってきたので時間のかぎり草取りをしましたが、なにしろ時間が短かったのであまり出来ませんでした。これからは雑草との競争になります。トウモロコシとヒマワリに追肥を御馳走しました。彼らは随分と大食いです。

6月25日
 今週は強い雨が多かったので、ほぼ毎日田んぼの見回りをしました。水が多すぎると苗が水没したり流されたりします。水路の堰を調整して水量をコントロールします。田植えの時に刈った畔の草もいつの間にか随分と伸びたので草刈りもしました。この時期は田んぼ、畑、家の周りと草との闘いになります。
 畑の方は除草が中心です。うっかりしていると雑草の方が野菜達よりも背が高くなってしまいます。ニンジンの間引きをしました。花が咲いたので放っておいたシュンギクが種も落ち枯れてきたので草刈り機で切ってしまいました。こぼれ種から芽がでるかもしれません。

 - 菜園

adsense

adsense

最近のコメント

このブログでは記事ごとのコメントは設けておりません。
ご意見、ご感想などは、ゲストブックに書き込んでくださると有り難いです。


  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/30])

    永野さん、返事ありがとうございます。
    お会いできる日を楽しみにしております。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/30])

    おはようございます。パソコンに短歌に史跡巡りに山登りに米作りにバーベキューなどなどにとお忙しい毎日を楽しんでおられるようです。
    今度そちらにお伺いするときは連絡差し上げてみたいと思います。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/28])

    なるほど、興味深いですね。
    史跡めぐりは好きですがテーマがあると面白くなりますよね。

    私の興味は今のところ古代です。
    国分は古代と先端技術がが同居している面白い場所です。
    私は日向市の生まれでれ宮崎市で暫く仕事して今は国分に住んでいます。。ここに来た時に宮崎神話と思っていた海幸彦山幸彦の主人公の御陵が近くにあったのが興味を持ち始めた発端です。

    永野さんおブログを拝見しました。国分方面にも良く来られているのですね。こんど来られるときはご連絡ください。時間があえばお会いしたいものです。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/28])

     ご返事ありがとうございます。800年前の話、やはり無理ですね。
    俊寛が実際にこれらのルートを通って流されたかどうかは事実ではないのではと思いますが、長門本を書いた作者(複数かも)は本に出てくる地名を知っていたと思われますし、この本が書かれた当時はこのルートが一般的によく知られていたものと思われます。
     俊寛らが出港した港はまずは隼人のAZの近くの港から、鹿児島に立ち寄り最終的には坊津からのようです。このことについては「広報きりしま」(何号かはメモしてなくて不明ですが最近です)の20ページに詳しい記載があります。
     私のブログ「宮崎(都城)からの便り」の中の史跡巡りまたはぶらり旅の欄にもコチョコチョと書いています。参考になれば・・・。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/26])

    あの足摺の俊寛ですか。俊寛が我が家のちかくを通っていたとは感慨深いものがあります。
    残念なが止上から財部への古道は判りません。今では国分と財部を結ぶ県道2号線が近いと思います。
    気色の森も近くにあります。

    俊寛が流刑地に向かって出港したという石碑が鹿児島市の天文館にあるそうなので、国分から加治木を通って白銀坂を登ったのでしょうか。
    私も機会があったら薩摩街道などを訪ね歩きたいと思います。

  •   関連記事