霧島の麓にて

霧島の麓から田舎暮らしの日々をつづります・・・山登り、短歌、そしてパソコンな日々

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農地法3条申請の許可がおりました

      2015/08/18

農地法

農地法3条申請の許可がおりました。
3月末に申請を行い、4月16日に現地調査、そして27日にようやく許可がおりました。あとは登記の移転を行うだけです。

話が持ち上がったのが今年のはじめですから、それからだと随分と時間がかかりました。もっとも、申請方法とかが分からずに放っておいたので、実質は3月、4月と2ヶ月くらいでしょうか。最初から司法書士さんにお願いすれば良かったかもしれません。具体的なアドバイスを頂いてスムーズに申請を行うことができました。

今回は起農からだったので申請が面倒でしたが、次回からはもう少しスムーズに行けるとおもいます。もっとも次回があればの話ですが。

宮崎の友人と話では、あちらの方では下限面積が50a(5反歩)だということです。随分と厳しいです。ここ霧島市も以前は5反歩だったそうですが、今は2反歩に緩和されたとのことです。地域によって条件が違うようですので、これから農地を手に入れようとされる方は確認した方が良いと思います。

さてさて、ようやくスタートラインについた所です。もうすぐ田植えの時期になります。もう、周りの田圃では準備が進んでいます。稲作1年目、どうなる事やら・・・。

 - 菜園 ,

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  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/30])

    永野さん、返事ありがとうございます。
    お会いできる日を楽しみにしております。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/30])

    おはようございます。パソコンに短歌に史跡巡りに山登りに米作りにバーベキューなどなどにとお忙しい毎日を楽しんでおられるようです。
    今度そちらにお伺いするときは連絡差し上げてみたいと思います。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/28])

    なるほど、興味深いですね。
    史跡めぐりは好きですがテーマがあると面白くなりますよね。

    私の興味は今のところ古代です。
    国分は古代と先端技術がが同居している面白い場所です。
    私は日向市の生まれでれ宮崎市で暫く仕事して今は国分に住んでいます。。ここに来た時に宮崎神話と思っていた海幸彦山幸彦の主人公の御陵が近くにあったのが興味を持ち始めた発端です。

    永野さんおブログを拝見しました。国分方面にも良く来られているのですね。こんど来られるときはご連絡ください。時間があえばお会いしたいものです。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/28])

     ご返事ありがとうございます。800年前の話、やはり無理ですね。
    俊寛が実際にこれらのルートを通って流されたかどうかは事実ではないのではと思いますが、長門本を書いた作者(複数かも)は本に出てくる地名を知っていたと思われますし、この本が書かれた当時はこのルートが一般的によく知られていたものと思われます。
     俊寛らが出港した港はまずは隼人のAZの近くの港から、鹿児島に立ち寄り最終的には坊津からのようです。このことについては「広報きりしま」(何号かはメモしてなくて不明ですが最近です)の20ページに詳しい記載があります。
     私のブログ「宮崎(都城)からの便り」の中の史跡巡りまたはぶらり旅の欄にもコチョコチョと書いています。参考になれば・・・。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/26])

    あの足摺の俊寛ですか。俊寛が我が家のちかくを通っていたとは感慨深いものがあります。
    残念なが止上から財部への古道は判りません。今では国分と財部を結ぶ県道2号線が近いと思います。
    気色の森も近くにあります。

    俊寛が流刑地に向かって出港したという石碑が鹿児島市の天文館にあるそうなので、国分から加治木を通って白銀坂を登ったのでしょうか。
    私も機会があったら薩摩街道などを訪ね歩きたいと思います。

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