霧島の麓にて

霧島の麓から田舎暮らしの日々をつづります・・・山登り、短歌、そしてパソコンな日々

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雄鶏がないている・・・今日が始まった

   

鶏我が家には鶏がいます。1羽の雄鶏と5羽の雌鶏。

6羽の鶏たちが我が家に来たのは1年ほど前のことです。その頃はまだ黄色いところが目立つヒヨコたちでしたが、もうすっかり大きくなり卵も毎日産んでくれます。毎日4、5個産んでくれるので娘一家と2家族分賄えてありがたいです。雄鶏もいる事ですから、たぶん有精卵でしょう。有精卵が栄養価が高いかどうかは不明ですが。

ヒヨコ

まずは鶏小屋作りから

養鶏は、まず鶏小屋つくりから始めました。納屋の壁を利用して小屋をつくりました。イタチなどが来るという事でしたので基礎にトタン板をうめました。その周りにブロックを回しています。穴を掘ってイタチや蛇が侵入してこないように。

小屋を作ったことなどなかったですが、何とか壁、屋根をつけて全面は金網を二重にはり、何とか形ができたところでペットショップからヒヨコを買ってきました。その頃は快適そうな鶏小屋でしたが、今は随分と大きくなって窮屈そうです。今思うともう少し大きく作ればよかったと思っています。

運動場も作りも

窮屈そうなので運動場を作ってあげることにしました。最初は網で囲っていただけですが、鶏も飛ぶのです。よく脱走して夕方に連れ戻すのが大変だったので、上の方も網をかけて全体を覆ってしまいました。これで大丈夫です。

餌は市販の餌とスーパーから貰ってくるキャベツ

餌は市販の餌と、時々スーパーから貰ってくるキャベツの葉っぱ、そう皆さんが捨てている外側の固い葉っぱです。餌代が千円ちょっとかかるので・・・スーパーの特売卵と比べると微妙かな。でも運動しているからか、卵が濃いような気がします。新鮮だしね。きっと高級卵だ。

卵

雄鶏は近所迷惑

雄鶏を飼っているので、よく鳴きます。結構大きな声で鳴きます。こんな田舎だから良いものの近所に家があると無理ですね。それに雄鶏は結構凶暴です。私には向かってこないですが、うっかたや知らない人間が運動場などに入ると向かってきます。

5ヶ月で産み始め、5年で産まなくなる・・・らしい

ヒヨコから5ヶ月くらいで卵を産み始めますが、4、5年くらいで産まなくなるそうです。そうなると次の鶏も入れないといけないし、餌代もばかにならないので潰すことになるでしょう。今からの心配事の一つでもあります。

 - 田舎暮らし

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  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/30])

    永野さん、返事ありがとうございます。
    お会いできる日を楽しみにしております。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/30])

    おはようございます。パソコンに短歌に史跡巡りに山登りに米作りにバーベキューなどなどにとお忙しい毎日を楽しんでおられるようです。
    今度そちらにお伺いするときは連絡差し上げてみたいと思います。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/28])

    なるほど、興味深いですね。
    史跡めぐりは好きですがテーマがあると面白くなりますよね。

    私の興味は今のところ古代です。
    国分は古代と先端技術がが同居している面白い場所です。
    私は日向市の生まれでれ宮崎市で暫く仕事して今は国分に住んでいます。。ここに来た時に宮崎神話と思っていた海幸彦山幸彦の主人公の御陵が近くにあったのが興味を持ち始めた発端です。

    永野さんおブログを拝見しました。国分方面にも良く来られているのですね。こんど来られるときはご連絡ください。時間があえばお会いしたいものです。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/28])

     ご返事ありがとうございます。800年前の話、やはり無理ですね。
    俊寛が実際にこれらのルートを通って流されたかどうかは事実ではないのではと思いますが、長門本を書いた作者(複数かも)は本に出てくる地名を知っていたと思われますし、この本が書かれた当時はこのルートが一般的によく知られていたものと思われます。
     俊寛らが出港した港はまずは隼人のAZの近くの港から、鹿児島に立ち寄り最終的には坊津からのようです。このことについては「広報きりしま」(何号かはメモしてなくて不明ですが最近です)の20ページに詳しい記載があります。
     私のブログ「宮崎(都城)からの便り」の中の史跡巡りまたはぶらり旅の欄にもコチョコチョと書いています。参考になれば・・・。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/26])

    あの足摺の俊寛ですか。俊寛が我が家のちかくを通っていたとは感慨深いものがあります。
    残念なが止上から財部への古道は判りません。今では国分と財部を結ぶ県道2号線が近いと思います。
    気色の森も近くにあります。

    俊寛が流刑地に向かって出港したという石碑が鹿児島市の天文館にあるそうなので、国分から加治木を通って白銀坂を登ったのでしょうか。
    私も機会があったら薩摩街道などを訪ね歩きたいと思います。

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