南九州市知覧町には豊玉姫(とよたまひめ)と玉依姫(たまよりひめ)の伝説が残っています。
豊玉姫は山幸彦こと日子穂穂手見命(ひほほでのみこと)の奥さんですね。
玉依姫はその子供の鵜草葺不合命(うがやふきあわずのみこと)の奥さんです。
ちょっと複雑ですね。玉依姫の子供が神倭伊波礼比古命(かむいいわれびこのみこと)、つまり神武天皇です。
その豊玉姫の御陵と伝えられている場所が知覧にあります。
鹿児島市から知覧町の方に県道22号線を走っていくと、左手の田んぼのなかにぽつんと鳥居があります。それが豊玉姫の御陵です。
田んぼの真ん中に石の囲いがあって、真ん中に石がぽつんと置かれています。そこが御陵ということです。その前には鳥居がありますが、それだけです。
豊玉姫の旦那様、日子穂穂手見命の御陵は溝辺町の高屋山陵で、隼人町の鹿児島神宮です。随分と離れた所にあって、随分と質素な御陵です。
鳥居の横に案内板があります。案内板にはこの地が豊玉姫の御陵と伝えられていること。豊玉姫と玉依姫の伝承、祀ってある神社などが説明されています。
豊玉姫を祀っているのが豊玉姫神社で、同じく知覧にあります。こちらは水からくりで有名です。毎年7月には、年それぞれの趣向をこらしたからくり人形をみることができます。
私が行ったときは、前年に上演したらしいからくり人形が神社内に展示されていました。機会があったら、実際に動いているところを見てみたいものです。
山幸彦が無くした釣り針を捜しに綿津見神(わたつみ)の宮殿へ行ったときに、その娘の豊玉姫と知り合って結婚したのだそうです。その出会いの場となった井戸は開聞町にあります。「玉の井」という井戸です。また開聞町の枚聞神社(ひらききじんじゃ)は、かって和多都美神社と言われていたそうです。
如何でしょうか。開聞町に綿津見の言い伝えがあり、知覧町に綿津見神の娘達の言い伝えがある。もしかしたら、南薩摩は綿津見神の里だったのかも知れませんね。