霧島の麓にて

霧島の麓から田舎暮らしの日々をつづります・・・山登り、短歌、そしてパソコンな日々

*

取り込む俳句と吐き出す短歌

   

吟行毎月、第4日曜日は俳句の会です。毎月、主催者が決めた場所で吟行を行います。私の場合は俳句よりも食事の方に魅力を感じているのですが・・・まぁ、それでも俳句は作らないといけません。五句の出句が基本です。

私の参加しているところだけかもしれませんが、俳句の基本は吟行のようです。大きな大会でもその場で詠むのだそうです。

短歌も月に1回の歌会がありますが、こちらは吟行をいたしません。年に1回程度は吟行を行いますが、歌会の遠足、レクレーションのような趣です。外に出て自然と語らいながら詠む俳句と、家の中でじっくりと内面を見つめて詠む短歌という感じでしょうか。短歌は場合によっては創作が入ることもあります。そう考えると、たった14文字の違いですが、短歌は14文字分だけ散文的なのかもしれません。

私は即詠がどうも苦手です。語彙が少ないのだからしょうがないです。辞書を片手にこねくりまわさないと短歌も俳句もできない。でも、句会は吟行、即詠が基本だから、その場で作らないと句会に参加できない。しょうがないから何とか作りますが、まぁ、何とかなるもんです。

俳句と短歌は、どうも基本が違うような気がします。
俳句は外を詠むもので、短歌を内を詠むもののような気がします。
外の世界を捉えて17文字の形に取り込んでしまう俳句。
内の世界を見詰めて31の形にして外に出していく短歌。
そして、おのおの外と内とを仲介するのが言葉、文字ということでしょうか。
私の参加している句会、歌会ではそんな気がします。

ある人から俳句と短歌は世界が違うから両方するといけないと言われたことがあります。でも、周りをみると両方している人も結構います。私は短歌の世界の住人で、時々、俳句の世界をのぞき込むような感じですが、その違いは文字数の違い以上のものを感じます。折角お邪魔しているわけですから、俳句の方々の「外の世界を捉える術」を会得したいと思います。

 - 短歌

adsense

adsense

最近のコメント

このブログでは記事ごとのコメントは設けておりません。
ご意見、ご感想などは、ゲストブックに書き込んでくださると有り難いです。


  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/30])

    永野さん、返事ありがとうございます。
    お会いできる日を楽しみにしております。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/30])

    おはようございます。パソコンに短歌に史跡巡りに山登りに米作りにバーベキューなどなどにとお忙しい毎日を楽しんでおられるようです。
    今度そちらにお伺いするときは連絡差し上げてみたいと思います。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/28])

    なるほど、興味深いですね。
    史跡めぐりは好きですがテーマがあると面白くなりますよね。

    私の興味は今のところ古代です。
    国分は古代と先端技術がが同居している面白い場所です。
    私は日向市の生まれでれ宮崎市で暫く仕事して今は国分に住んでいます。。ここに来た時に宮崎神話と思っていた海幸彦山幸彦の主人公の御陵が近くにあったのが興味を持ち始めた発端です。

    永野さんおブログを拝見しました。国分方面にも良く来られているのですね。こんど来られるときはご連絡ください。時間があえばお会いしたいものです。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/28])

     ご返事ありがとうございます。800年前の話、やはり無理ですね。
    俊寛が実際にこれらのルートを通って流されたかどうかは事実ではないのではと思いますが、長門本を書いた作者(複数かも)は本に出てくる地名を知っていたと思われますし、この本が書かれた当時はこのルートが一般的によく知られていたものと思われます。
     俊寛らが出港した港はまずは隼人のAZの近くの港から、鹿児島に立ち寄り最終的には坊津からのようです。このことについては「広報きりしま」(何号かはメモしてなくて不明ですが最近です)の20ページに詳しい記載があります。
     私のブログ「宮崎(都城)からの便り」の中の史跡巡りまたはぶらり旅の欄にもコチョコチョと書いています。参考になれば・・・。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/26])

    あの足摺の俊寛ですか。俊寛が我が家のちかくを通っていたとは感慨深いものがあります。
    残念なが止上から財部への古道は判りません。今では国分と財部を結ぶ県道2号線が近いと思います。
    気色の森も近くにあります。

    俊寛が流刑地に向かって出港したという石碑が鹿児島市の天文館にあるそうなので、国分から加治木を通って白銀坂を登ったのでしょうか。
    私も機会があったら薩摩街道などを訪ね歩きたいと思います。

  •   関連記事