霧島の麓にて

霧島の麓から田舎暮らしの日々をつづります・・・山登り、短歌、そしてパソコンな日々

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秘湯 霧島新湯温泉

      2015/02/01

新湯温泉名温泉といわれた霧島温泉郷は軒並み大きなホテルが立ち並び、昔の情感は失われてしまいました。
しかし、そういった大温泉地から少し奥に足をむけるとひなびたいい温泉があります。

新湯温泉は新燃岳の登山口にあります。
国民宿舎「霧島新燃荘」看板には秘湯・西の大関の文字も見えます。

案内看板に沿っていくと噴煙がいたるところから上がっている岩肌が見えてきます。
その硫黄で白くなった岩肌と強い硫黄の臭いに期待が高まります。
行き着く先は赤松の林の中にたたずむ木造の温泉です。

ここは旅館と湯治の自炊棟、湯小屋が雑然とあります。
泉源となっている川を渡っていくと日帰りの人たちがタオルを片手に湯小屋に向かっています。
いかにも残された秘湯という趣です。

湯小屋には「入湯は1回30分以内、子供だけの入湯は厳禁、二人以上連れ立ってはいること」と注意書きがあります。
硫黄の成分が強くて岩から流れる湯で岩肌は山吹色に変色しています。

男女別の浴室と露天風呂があります。
露天風呂は女湯の入り口にあるので私は遠慮しましたが多くの人がはいっていました。
どの浴槽も黄色味を帯おびた乳白色の湯があふれています。

温度は少し熱く感じるくらいであまりゆっくりと入っていられません。
ちょっと湯船からでて換気のための隙間から入ってくる風に身を涼めます。
それからまた温泉に・・・ 露天風呂と湯小屋を行き来しても良いかも知れません。

ここから所謂、新湯林道が始まり新燃岳への登山口になります。
林道を4Kmくらい進むと少しばかりの登りがあって獅子戸岳と新燃岳の分岐、鞍部につきます。

その登山道には三つ葉ツツジの群生地があり春にはピンク色のトンネルが現れます。
運良く満開の三つ葉ツツジに出会えたなら、その素晴らしさに感激しますよ。
もちろん、山で心を癒したら新湯温泉で体も癒して戻りましょう。

新湯温泉 アクセスマップ

鹿児島県霧島市牧園町高千穂3968

31°54’11.9″N 130°51’16.8″E

 - 温泉散策

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  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/30])

    永野さん、返事ありがとうございます。
    お会いできる日を楽しみにしております。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/30])

    おはようございます。パソコンに短歌に史跡巡りに山登りに米作りにバーベキューなどなどにとお忙しい毎日を楽しんでおられるようです。
    今度そちらにお伺いするときは連絡差し上げてみたいと思います。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/28])

    なるほど、興味深いですね。
    史跡めぐりは好きですがテーマがあると面白くなりますよね。

    私の興味は今のところ古代です。
    国分は古代と先端技術がが同居している面白い場所です。
    私は日向市の生まれでれ宮崎市で暫く仕事して今は国分に住んでいます。。ここに来た時に宮崎神話と思っていた海幸彦山幸彦の主人公の御陵が近くにあったのが興味を持ち始めた発端です。

    永野さんおブログを拝見しました。国分方面にも良く来られているのですね。こんど来られるときはご連絡ください。時間があえばお会いしたいものです。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/28])

     ご返事ありがとうございます。800年前の話、やはり無理ですね。
    俊寛が実際にこれらのルートを通って流されたかどうかは事実ではないのではと思いますが、長門本を書いた作者(複数かも)は本に出てくる地名を知っていたと思われますし、この本が書かれた当時はこのルートが一般的によく知られていたものと思われます。
     俊寛らが出港した港はまずは隼人のAZの近くの港から、鹿児島に立ち寄り最終的には坊津からのようです。このことについては「広報きりしま」(何号かはメモしてなくて不明ですが最近です)の20ページに詳しい記載があります。
     私のブログ「宮崎(都城)からの便り」の中の史跡巡りまたはぶらり旅の欄にもコチョコチョと書いています。参考になれば・・・。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/26])

    あの足摺の俊寛ですか。俊寛が我が家のちかくを通っていたとは感慨深いものがあります。
    残念なが止上から財部への古道は判りません。今では国分と財部を結ぶ県道2号線が近いと思います。
    気色の森も近くにあります。

    俊寛が流刑地に向かって出港したという石碑が鹿児島市の天文館にあるそうなので、国分から加治木を通って白銀坂を登ったのでしょうか。
    私も機会があったら薩摩街道などを訪ね歩きたいと思います。

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