霧島の麓にて

霧島の麓から田舎暮らしの日々をつづります・・・山登り、短歌、そしてパソコンな日々

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烏帽子岳のゆったりとした一日(H19/4)

      2015/01/10

千里ヶ滝先週とうって変わって綺麗な青空。
きょうはとってもウキウキです。
人生最良の日っぽい日です。
先週は人生最悪の日っぽい日でした。
何時ものように何時ものところで、何時もより遅い待ち合わせ。
きょうは烏帽子岳だそうです。
初めて登る山です。
霧島連山の前山という感じの山で、1000m弱の手ごろな山です。
山に性別があるならば、霧島烏帽子岳は女性の山でしょう。

9時から霧島神宮裏から登りはじめます。
車で行けば数十分の道のりを車道にそって遊歩道をあるいて行きます。
そんなに登りはなく、ゆっくりと楽しい道のりです。
効率ばかりの日常の対極にある無駄ばかりの休日です。

烏帽子岳は新湯から辿るのが普通のようです。
でも、今日は無駄を重ねて霧島神宮から目指します。
今は通る人もいない、かっての遊歩道を進んでいきます。

途中、千里ヶ滝に寄り道です。
この滝はひと筋のとっても綺麗な滝です。
瀑布という壮大さも良いですが、一筋の滝はその潔さで見事。
ただ、その坂、急で、子を擁く親の辛さと強さ、そして優しさを目の辺りにしました。
それだけでも今日の価値の大きさを感じます。

大いなる回り道をして新湯からの道に合流です。
ここで昼餉。
烏帽子岳には一気に登って最初のピーク。
ここは展望なく、そのまま次のピークへ。
ここは展望良く、今まで見たこともない形の高千穂峰を堪能。

さて、ここからの下りがいい加減。
いやいや、ルートが曖昧。
ただただ下の方に杉林を下るだけ。
まぁ、私のビンタ地図でも下れば道に出ると書いてあります。
多少、思惑とずれても大通りにでて今日の素敵な一日は終りです。

9時から登り初めて2時で下山。
最上標高980mの一日でした。
考えてみれば山登りは無駄の一言。
ムリ・ムラ・ムダの撲滅などと言っている日常の対極にある非日常。
効率べったりじゃやっていけません。

 - 登山日誌 ,

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  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/30])

    永野さん、返事ありがとうございます。
    お会いできる日を楽しみにしております。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/30])

    おはようございます。パソコンに短歌に史跡巡りに山登りに米作りにバーベキューなどなどにとお忙しい毎日を楽しんでおられるようです。
    今度そちらにお伺いするときは連絡差し上げてみたいと思います。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/28])

    なるほど、興味深いですね。
    史跡めぐりは好きですがテーマがあると面白くなりますよね。

    私の興味は今のところ古代です。
    国分は古代と先端技術がが同居している面白い場所です。
    私は日向市の生まれでれ宮崎市で暫く仕事して今は国分に住んでいます。。ここに来た時に宮崎神話と思っていた海幸彦山幸彦の主人公の御陵が近くにあったのが興味を持ち始めた発端です。

    永野さんおブログを拝見しました。国分方面にも良く来られているのですね。こんど来られるときはご連絡ください。時間があえばお会いしたいものです。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/28])

     ご返事ありがとうございます。800年前の話、やはり無理ですね。
    俊寛が実際にこれらのルートを通って流されたかどうかは事実ではないのではと思いますが、長門本を書いた作者(複数かも)は本に出てくる地名を知っていたと思われますし、この本が書かれた当時はこのルートが一般的によく知られていたものと思われます。
     俊寛らが出港した港はまずは隼人のAZの近くの港から、鹿児島に立ち寄り最終的には坊津からのようです。このことについては「広報きりしま」(何号かはメモしてなくて不明ですが最近です)の20ページに詳しい記載があります。
     私のブログ「宮崎(都城)からの便り」の中の史跡巡りまたはぶらり旅の欄にもコチョコチョと書いています。参考になれば・・・。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/26])

    あの足摺の俊寛ですか。俊寛が我が家のちかくを通っていたとは感慨深いものがあります。
    残念なが止上から財部への古道は判りません。今では国分と財部を結ぶ県道2号線が近いと思います。
    気色の森も近くにあります。

    俊寛が流刑地に向かって出港したという石碑が鹿児島市の天文館にあるそうなので、国分から加治木を通って白銀坂を登ったのでしょうか。
    私も機会があったら薩摩街道などを訪ね歩きたいと思います。

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