霧島の麓にて

霧島の麓から田舎暮らしの日々をつづります・・・山登り、短歌、そしてパソコンな日々

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メタボ脱出への道 一日に1400Kcalに抑えましょう

   

メタボ
「まずは腹囲からです、楽にして下さいね」
・・・
「何センチですか」
「84センチでした」
「あぁ、去年から1センチ少なくなりましたね」
「そうなんですかぁ・・・」

今日は職場の健康診断でした。絶対、腹回りは大きくなっていると思ったら小さくなっていましたね。85センチ以上がメタボですから、はれてメタボ脱出・・・かな?
でも、体感腹回りは大きいです。メジャーは臍の所とか言って最大腹囲よりも下の方でしたから、まぁ記録上はという感じでしょうか。

いけませんねぇ、運動不足なんでしょうねぇ。筋力が落ちているんでしょう。
歳をとると筋力維持には努力が必要です、ましてや筋力増加には相当な覚悟が必要でしょう。
それなのに運動不足となれば腹囲は増大する一方です。中性脂肪の値があがって病院の先生に怒られる。今日も健康診断のドクターに「炭水化物は少なめに」などと言われてしまいました。

そういえば、しばらく前に病院の先生から呼び出されて、栄養指導などを受けました。病院の栄養士のお姉さまから、私の一日の摂取カロリー宣告です。

「一日に1400Kcalに抑えましょう」と軽くおっしゃいました。

1400Kcalというと、かなり厳しい数値です。
私の朝ごはんは「ご飯とみそ汁」ですが、それだけでも400Kcalくらいあります。ということは残りが1000Kcalです。

某ファミレスではメニューにカロリー数が書いてあります。恐怖の数字ですが、これがありがたい。それで・・・メニューを眺めると・・・600Kcal以下のメニューなんてありゃしない。ご飯一杯が300Kcalと思えば当たり前かもしれません。

そんな事を件の栄養士さんに聞いてみました。

すると、「全部食べなければいいんです」と、また、軽くおっしゃる。

これは目から鱗の返答でした。考えてみればその通りなのですが、幼いころ給食時間に全部食べるまで居残りをさせられた口には思付かない事でした。

「命がけで食べる必要はないのです」と、また、また、軽くおっしゃる。

まぁ、その通りです。
そもそも、命をつなぐために食事をとっているのですが、時は飽食の時代、その食事が命を縮める原因になり始めています。
某ファミレスのシェフにはもうしけないが、ここは残すことにいたしましょう。
といいつつ・・・ついつい食べてしまうのでありますが。

 - エッセイ

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  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/30])

    永野さん、返事ありがとうございます。
    お会いできる日を楽しみにしております。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/30])

    おはようございます。パソコンに短歌に史跡巡りに山登りに米作りにバーベキューなどなどにとお忙しい毎日を楽しんでおられるようです。
    今度そちらにお伺いするときは連絡差し上げてみたいと思います。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/28])

    なるほど、興味深いですね。
    史跡めぐりは好きですがテーマがあると面白くなりますよね。

    私の興味は今のところ古代です。
    国分は古代と先端技術がが同居している面白い場所です。
    私は日向市の生まれでれ宮崎市で暫く仕事して今は国分に住んでいます。。ここに来た時に宮崎神話と思っていた海幸彦山幸彦の主人公の御陵が近くにあったのが興味を持ち始めた発端です。

    永野さんおブログを拝見しました。国分方面にも良く来られているのですね。こんど来られるときはご連絡ください。時間があえばお会いしたいものです。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/28])

     ご返事ありがとうございます。800年前の話、やはり無理ですね。
    俊寛が実際にこれらのルートを通って流されたかどうかは事実ではないのではと思いますが、長門本を書いた作者(複数かも)は本に出てくる地名を知っていたと思われますし、この本が書かれた当時はこのルートが一般的によく知られていたものと思われます。
     俊寛らが出港した港はまずは隼人のAZの近くの港から、鹿児島に立ち寄り最終的には坊津からのようです。このことについては「広報きりしま」(何号かはメモしてなくて不明ですが最近です)の20ページに詳しい記載があります。
     私のブログ「宮崎(都城)からの便り」の中の史跡巡りまたはぶらり旅の欄にもコチョコチョと書いています。参考になれば・・・。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/26])

    あの足摺の俊寛ですか。俊寛が我が家のちかくを通っていたとは感慨深いものがあります。
    残念なが止上から財部への古道は判りません。今では国分と財部を結ぶ県道2号線が近いと思います。
    気色の森も近くにあります。

    俊寛が流刑地に向かって出港したという石碑が鹿児島市の天文館にあるそうなので、国分から加治木を通って白銀坂を登ったのでしょうか。
    私も機会があったら薩摩街道などを訪ね歩きたいと思います。

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