霧島の麓にて

霧島の麓から田舎暮らしの日々をつづります・・・山登り、短歌、そしてパソコンな日々

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机の上には書いていない暑中見舞いのハガキ・・・明後日は立秋というのに

   

立秋

机の上には買ったばかりで、書いていない暑中見舞いの葉書があります。あさっては立秋というのに・・・。はたして、残暑見舞いは書くのだろうか・・・、そのままお蔵入りになるのかもしれません。

早いものですねぇ。ガキの頃は立秋なんか関係なく泳ぎまくっていましたね。なんとなく夏休みの残りが気になる言葉ではありましたけど。

立春、立夏、立秋、立冬、どれも日常感覚からすると早いようなきがします。旧暦と新暦の違いと思っていましたが、どうやらそうでもないらしいのです。24節季は思ったよりも文学的でなく科学的(天文学的)に決まっているようです。

判りやすいのは冬至、春分、夏至、秋分ですね。一番、太陽が元気のなくなる日と、元気いっぱいの日、その中間が春と秋にあるということになります。そして、秋分は夏至と秋分の中間の日になるらしいのです。数字で言えば太陽が春分の位置から135度にあるときです。

検証してみましょう。
1年は365日だけど面倒だから360日とします。
冬至を起点とした方が考えやすいので、起点は12月22日頃でしょうか。
夏至はその反対側で180度、夏至から90度進んだのが秋分の日で270度ということになります。つまり、冬至から270日後で概ね9ヶ月後の9月20日頃でしょうか。

立秋は夏至と秋分の中間ということなので90度÷2で45度、つまり秋分から45日さかのぼると・・・8月5日頃でしょうか。おぉ、大体あっていますね。

まぁ、もともとそういう風に考えられているのですから検証するまでもないですけど、やっぱり自分で理屈っぽく考えて納得してみたいのです。
よく理屈っぽいと言われますが、これは致し方ない、性分です。でも嫌いな性分でもありません。

もっとも自分で考えている分はいいけど、誰かに説教をはじめると困ったちゃんになってしまいます。注意しないといけませんが、そのケは十分に持ち合わせているきがします。特に酒でも飲むと注意が必要です。

暦の上では明後日から秋です。俳句の吟行には歳時記の秋の巻をもって行かないと怒られます。でも、これからが暑さの盛りですよね。大好きな夏を思いっきり楽しむぞぉ。

 - エッセイ

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  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/30])

    永野さん、返事ありがとうございます。
    お会いできる日を楽しみにしております。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/30])

    おはようございます。パソコンに短歌に史跡巡りに山登りに米作りにバーベキューなどなどにとお忙しい毎日を楽しんでおられるようです。
    今度そちらにお伺いするときは連絡差し上げてみたいと思います。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/28])

    なるほど、興味深いですね。
    史跡めぐりは好きですがテーマがあると面白くなりますよね。

    私の興味は今のところ古代です。
    国分は古代と先端技術がが同居している面白い場所です。
    私は日向市の生まれでれ宮崎市で暫く仕事して今は国分に住んでいます。。ここに来た時に宮崎神話と思っていた海幸彦山幸彦の主人公の御陵が近くにあったのが興味を持ち始めた発端です。

    永野さんおブログを拝見しました。国分方面にも良く来られているのですね。こんど来られるときはご連絡ください。時間があえばお会いしたいものです。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/28])

     ご返事ありがとうございます。800年前の話、やはり無理ですね。
    俊寛が実際にこれらのルートを通って流されたかどうかは事実ではないのではと思いますが、長門本を書いた作者(複数かも)は本に出てくる地名を知っていたと思われますし、この本が書かれた当時はこのルートが一般的によく知られていたものと思われます。
     俊寛らが出港した港はまずは隼人のAZの近くの港から、鹿児島に立ち寄り最終的には坊津からのようです。このことについては「広報きりしま」(何号かはメモしてなくて不明ですが最近です)の20ページに詳しい記載があります。
     私のブログ「宮崎(都城)からの便り」の中の史跡巡りまたはぶらり旅の欄にもコチョコチョと書いています。参考になれば・・・。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/26])

    あの足摺の俊寛ですか。俊寛が我が家のちかくを通っていたとは感慨深いものがあります。
    残念なが止上から財部への古道は判りません。今では国分と財部を結ぶ県道2号線が近いと思います。
    気色の森も近くにあります。

    俊寛が流刑地に向かって出港したという石碑が鹿児島市の天文館にあるそうなので、国分から加治木を通って白銀坂を登ったのでしょうか。
    私も機会があったら薩摩街道などを訪ね歩きたいと思います。

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