霧島の麓にて

霧島の麓から田舎暮らしの日々をつづります・・・山登り、短歌、そしてパソコンな日々

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はやぶさ2は今どこに 感動の打ち上げから半年たったけど元気でしょうか

   

はやぶさ2

昨年の12月3日に種子島から打ち上げられた「はやぶさ2」、気が付けば半年が過ぎようとしていますが、いまどのあたりにいるのでしょうか。

JAXAの「はやぶさ2」特設サイトを久々に覗いてみたら、ちょうど2回目のイオンエンジン連続運転が終わったところのようです。

「はやぶさ2」は打ち上げられたあと、地球を追っかけるような形で太陽を回っています。1年をかけてだんだんと地球の追いつくような感じになり、12月に地球スイングバイで軌道を変えて小惑星へ向かっていくようです。
地球スイングバイのために3月と6月にイオンエンジンをオンにして軌道を変える必要があるとのことで、その2回目が終わったところのようです。

まだ小惑星に向かっているわけでは無いようなので、地球からの距離はそれほど離れていないです。しかし、それほどとは言うものの地球から5,741万Km(6月8日時点)もの彼方にあります。通信も片道3分ほどかかるようです。これからはスイングバイに向けて、だんだんと地球に近づいきます。まぁ、放り出された「はやぶさ2」が1年かけて地球に戻ってくる感じかもしれませんね。

初代「はやぶさ」にネームプレートを託したこともあり「はやぶさ2」のことも何かと気になります。
去年の12月に打ち上げれ、1年後に地球に戻ってきてスイングバイ、2018年に小惑星に辿り着き、2020年に地球に帰還する予定です。長い道のりですね。
2020年は東京オリンピックも開催されます。「はやぶさ2」も順調に飛行をつづけて無事に2020年に帰ってくるといいですね。2020年は興味深い年になりそうです。
そういえば金星探査機の「あかつき」はどこにいるんでしょうね。当初の軌道投入に失敗して、太陽の周りをまわる軌道にいるはずなんですが・・・。
調べてみたらい「あかつき」も生きていました。今年の12月7日に金星軌道に再投入する計画のようです。

今年の12月は「はやぶさ2」の地球スイングバイと「あかつき」の金星軌道再投入・・・、宇宙好きには楽しみな月になりそうです。

 - エッセイ

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  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/30])

    永野さん、返事ありがとうございます。
    お会いできる日を楽しみにしております。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/30])

    おはようございます。パソコンに短歌に史跡巡りに山登りに米作りにバーベキューなどなどにとお忙しい毎日を楽しんでおられるようです。
    今度そちらにお伺いするときは連絡差し上げてみたいと思います。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/28])

    なるほど、興味深いですね。
    史跡めぐりは好きですがテーマがあると面白くなりますよね。

    私の興味は今のところ古代です。
    国分は古代と先端技術がが同居している面白い場所です。
    私は日向市の生まれでれ宮崎市で暫く仕事して今は国分に住んでいます。。ここに来た時に宮崎神話と思っていた海幸彦山幸彦の主人公の御陵が近くにあったのが興味を持ち始めた発端です。

    永野さんおブログを拝見しました。国分方面にも良く来られているのですね。こんど来られるときはご連絡ください。時間があえばお会いしたいものです。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/28])

     ご返事ありがとうございます。800年前の話、やはり無理ですね。
    俊寛が実際にこれらのルートを通って流されたかどうかは事実ではないのではと思いますが、長門本を書いた作者(複数かも)は本に出てくる地名を知っていたと思われますし、この本が書かれた当時はこのルートが一般的によく知られていたものと思われます。
     俊寛らが出港した港はまずは隼人のAZの近くの港から、鹿児島に立ち寄り最終的には坊津からのようです。このことについては「広報きりしま」(何号かはメモしてなくて不明ですが最近です)の20ページに詳しい記載があります。
     私のブログ「宮崎(都城)からの便り」の中の史跡巡りまたはぶらり旅の欄にもコチョコチョと書いています。参考になれば・・・。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/26])

    あの足摺の俊寛ですか。俊寛が我が家のちかくを通っていたとは感慨深いものがあります。
    残念なが止上から財部への古道は判りません。今では国分と財部を結ぶ県道2号線が近いと思います。
    気色の森も近くにあります。

    俊寛が流刑地に向かって出港したという石碑が鹿児島市の天文館にあるそうなので、国分から加治木を通って白銀坂を登ったのでしょうか。
    私も機会があったら薩摩街道などを訪ね歩きたいと思います。

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