霧島の麓にて

霧島の麓から田舎暮らしの日々をつづります・・・山登り、短歌、そしてパソコンな日々

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マムシが出たぁ 愛犬・承太郎が奮闘するも駆逐できず助っ人を

   

マムシ

マムシがいました。屋敷の中に・・・

夜半にやけに愛犬・承太郎がやけに吠えていました。唸ったり吠えたりしています。こんな吠え方の時は何か侵入している時です。ここは山深いので貉(ムジナ)などの小動物が訪問してきます。承太郎の使命は、このような歓迎されない訪問者の駆逐でもあります。
ちょっと承太郎の吠え方がしつこいので懐中電灯を手に様子を見に出てみました。承太郎の家は玄関のすぐ横です。

承太郎が壁に向かって吠えています。何かを追い詰めた感じです。しかし・・・姿が見えません。何でしょう。懐中電灯を家の壁の方に向けているとヘビでした。胴体に円い模様の入ったヘビ、つまりマムシです。

ここは山深い田舎なので色々な生き物が出てきます。ムカデなどは夏になると時々お見受けします。この前などは不覚にも咬まれてしまいました。カエルなども家の前を飛び跳ねています。そのカエルを追ってかヘビなどもたまに見かけます。ヘビといっても黒ヘビや青大将なので放っておきます。

しかし、今回はマムシです。放っておくわけにはいきません。承太郎もあまり近寄らずに吠えています。マムシは鎌首を持ち上げて要撃体制をとっています。
さてさて、どうしたものか。まだまだ小さい子マムシのようですが、手づかみなんて恐ろしいことはできません。そこで剪定ばさみでちょん切る事にしました。

早々に剪定ばさみを取ってきて、要撃体制で承太郎を睨んでいるマムシを後ろからチョン。見事、一発で決まりました。

マムシ

この辺りではマムシは多いようです。とくに珍しものでもありません。先だっても田んぼの草刈りをしている時に遭遇して草刈機でちょん切ってやりました。田んぼの周りは当然ながら水も餌になるカエルなども多いので寄ってくるのでしょう。

身近な人にもマムシに咬まれたという人がいます。腫れあがり入院したという話は聞きますが、幸い死亡事故には至っていません。しかし、年間に十数人の死亡事故もあるそうです。侮ってはいけません。

マムシの牙は比較的短いので長靴、長ズボン、長袖で肌を露出させないようにして、草叢などに不用意に手を入れないようにしないといけません。夜行性なので夜は尚更です。
しかし・・・田んぼなどはともかく、屋敷内に現れると困ります。玄関横ですよ・・・。
承太郎が時々咬もうとして、ちょっかいを出していたので、逆襲されて鼻の頭など咬まれていないか心配でしたが、朝、玄関を出るといつものように座って待っていたので、咬まれていなかったのでしょう。

 - 田舎暮らし

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  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/30])

    永野さん、返事ありがとうございます。
    お会いできる日を楽しみにしております。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/30])

    おはようございます。パソコンに短歌に史跡巡りに山登りに米作りにバーベキューなどなどにとお忙しい毎日を楽しんでおられるようです。
    今度そちらにお伺いするときは連絡差し上げてみたいと思います。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/28])

    なるほど、興味深いですね。
    史跡めぐりは好きですがテーマがあると面白くなりますよね。

    私の興味は今のところ古代です。
    国分は古代と先端技術がが同居している面白い場所です。
    私は日向市の生まれでれ宮崎市で暫く仕事して今は国分に住んでいます。。ここに来た時に宮崎神話と思っていた海幸彦山幸彦の主人公の御陵が近くにあったのが興味を持ち始めた発端です。

    永野さんおブログを拝見しました。国分方面にも良く来られているのですね。こんど来られるときはご連絡ください。時間があえばお会いしたいものです。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/28])

     ご返事ありがとうございます。800年前の話、やはり無理ですね。
    俊寛が実際にこれらのルートを通って流されたかどうかは事実ではないのではと思いますが、長門本を書いた作者(複数かも)は本に出てくる地名を知っていたと思われますし、この本が書かれた当時はこのルートが一般的によく知られていたものと思われます。
     俊寛らが出港した港はまずは隼人のAZの近くの港から、鹿児島に立ち寄り最終的には坊津からのようです。このことについては「広報きりしま」(何号かはメモしてなくて不明ですが最近です)の20ページに詳しい記載があります。
     私のブログ「宮崎(都城)からの便り」の中の史跡巡りまたはぶらり旅の欄にもコチョコチョと書いています。参考になれば・・・。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/26])

    あの足摺の俊寛ですか。俊寛が我が家のちかくを通っていたとは感慨深いものがあります。
    残念なが止上から財部への古道は判りません。今では国分と財部を結ぶ県道2号線が近いと思います。
    気色の森も近くにあります。

    俊寛が流刑地に向かって出港したという石碑が鹿児島市の天文館にあるそうなので、国分から加治木を通って白銀坂を登ったのでしょうか。
    私も機会があったら薩摩街道などを訪ね歩きたいと思います。

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