霧島の麓にて

霧島の麓から田舎暮らしの日々をつづります・・・山登り、短歌、そしてパソコンな日々

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俳句吟行 小雨ふる関之尾滝で初夏を詠む

   

関之尾滝

月例の俳句吟行ですが、2ヶ月休んで久々の参加です。今回は宮崎県は都城市にある関之尾滝です。

天気予報では降水確率80%だったのですが、時折、小雨が降る程度でなんとか持ちこたえてくれました。この程度だったら田んぼの準備をすれば良かった少し思いましたが、俳句仲間と会えばそんな気分も吹き飛んでしまいました。

雨粒を集めてみらば滝ならむ(谺)

今年は5月6日が立夏でしたので、今回の吟行は夏の歳時記をもって行きました。とはいっても関之尾滝です。滝が立派な夏の季語ですので関之尾滝を詠めば良いことになります。

関之尾滝は大滝、男滝、女滝の3つの滝から出ています。大滝は幅40m、落差18mで壮観です。男滝は前用水路の余った水を流しているのが滝になったもの、女滝は前用水路の取水口です。

男滝

突然に行き場なくして男滝かな(谺)

前田用水路は明治時代に作られた用水路で関之尾地区の田んぼを潤しています。関之尾の滝の上から水を引き、女滝で落としてから下の方で受け用水路に流しています。あまり沢山の水が流れ込まないように余った水を男滝から落としているようです。言わば滝の分流のような恰好ですね。明治の人たちもユニークな発想をしていたようです。

甌穴群

鳥たちのウォータースライダー滝の上(谺)

滝の上には甌穴群があります。一帯は凝灰岩なので比較的柔らかく浸食されていったのでしょう。甌穴は川床の小さな窪みなどに小石がはまり回転することで円形の穴に拡大していったものだそうです。
今回は水量が多くて甌穴群も水の中という感じでしたが、以前に訪れたときは面白い風景が広がっていました。

今回の句会場は近くの中華料理店でした。私は固焼きそばを注文して5句の投句をしました。5句投5句選で成績はあまり芳しくなかったですが、美味しい食事と楽しい語らいのひと時を過ごしました。

 - 俳句

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  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/30])

    永野さん、返事ありがとうございます。
    お会いできる日を楽しみにしております。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/30])

    おはようございます。パソコンに短歌に史跡巡りに山登りに米作りにバーベキューなどなどにとお忙しい毎日を楽しんでおられるようです。
    今度そちらにお伺いするときは連絡差し上げてみたいと思います。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/28])

    なるほど、興味深いですね。
    史跡めぐりは好きですがテーマがあると面白くなりますよね。

    私の興味は今のところ古代です。
    国分は古代と先端技術がが同居している面白い場所です。
    私は日向市の生まれでれ宮崎市で暫く仕事して今は国分に住んでいます。。ここに来た時に宮崎神話と思っていた海幸彦山幸彦の主人公の御陵が近くにあったのが興味を持ち始めた発端です。

    永野さんおブログを拝見しました。国分方面にも良く来られているのですね。こんど来られるときはご連絡ください。時間があえばお会いしたいものです。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/28])

     ご返事ありがとうございます。800年前の話、やはり無理ですね。
    俊寛が実際にこれらのルートを通って流されたかどうかは事実ではないのではと思いますが、長門本を書いた作者(複数かも)は本に出てくる地名を知っていたと思われますし、この本が書かれた当時はこのルートが一般的によく知られていたものと思われます。
     俊寛らが出港した港はまずは隼人のAZの近くの港から、鹿児島に立ち寄り最終的には坊津からのようです。このことについては「広報きりしま」(何号かはメモしてなくて不明ですが最近です)の20ページに詳しい記載があります。
     私のブログ「宮崎(都城)からの便り」の中の史跡巡りまたはぶらり旅の欄にもコチョコチョと書いています。参考になれば・・・。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/26])

    あの足摺の俊寛ですか。俊寛が我が家のちかくを通っていたとは感慨深いものがあります。
    残念なが止上から財部への古道は判りません。今では国分と財部を結ぶ県道2号線が近いと思います。
    気色の森も近くにあります。

    俊寛が流刑地に向かって出港したという石碑が鹿児島市の天文館にあるそうなので、国分から加治木を通って白銀坂を登ったのでしょうか。
    私も機会があったら薩摩街道などを訪ね歩きたいと思います。

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