霧島の麓にて

霧島の麓から田舎暮らしの日々をつづります・・・山登り、短歌、そしてパソコンな日々

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俳句吟行 鹿児島神宮の初午祭

      2018/09/12

初午祭

毎月ある俳句吟行ですが、1月は大雪で中止でした。そこで今回が今年初めての俳句吟行になります。句会は毎月第4日曜日になっているのですが、今回は鹿児島神宮の初午祭と重なったので吟行先も初午際となりました。

私は20年以上も国分に住んでいるのですが、実は初午祭に行ったことがありませんでした。初体験です。あまり人混みが好きではないので、祭りに出向くことはほとんどありません。

初めてでしたが面白かったです。お馬さんが踊るんですよ。しかし、馬おどりよりも感動したのが、お囃子と歌者の歌声です。軽快な三味線のお囃子に合わせて、いかにも楽しそうに歌っているんです。

春を呼ぶよいさあよいさあの声たかく

歌声の素晴らしさもですが、いかにも楽しそうな表情が素敵でした。

初午祭

何時も車が行き来している道をふさいで露店がならんでいます。この露店たちが祭りの雰囲気を盛り上げてくれます。食べ物の露店が多かったのですが、中には懐かしい射的の露店もありました。五穀豊穣を祈る祭りらしく農機具や植木の露店もありました。
私は椎茸の原木にするクヌギの苗を買ってかえりました。この辺りではクヌギのことをキノコギと言ったりします。このクヌギに椎茸のコマ打ちをするには10年ほどかかるでしょうね。

馬おどりの列に歩調を合わせて神宮本殿のほうに向かっていきます。さすがに凄い人波です。

春祭り時に澱みて人の川

本殿で参拝をすませて境内で俳句をひねっていると、甘酒の幟が目につきました。焼酎はまずいですが、甘酒ならばと1杯頂きました。馬おどりの連は10を超えるようで、参道を見ると間を置きながら、飾りのついた馬が人の踊り連を従えて向かってきていました。

天降川河畔

初午祭を見た後は句会場のしゃぶしゃぶ屋さんに向かって歩いていきます。クヌギの苗をもって。小春日和の天降川河畔を歩いていると、川面で遊ぶ鴨たちの群れや、菜の花でお日さまの色に染まったような河川敷が幸せな気分にしてくれました。

お日さまの色して菜の花風にゆる

初めての初午祭でしたが、祭りもいいですね。面倒がらずに参加して良かったです。

 - 俳句

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  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/30])

    永野さん、返事ありがとうございます。
    お会いできる日を楽しみにしております。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/30])

    おはようございます。パソコンに短歌に史跡巡りに山登りに米作りにバーベキューなどなどにとお忙しい毎日を楽しんでおられるようです。
    今度そちらにお伺いするときは連絡差し上げてみたいと思います。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/28])

    なるほど、興味深いですね。
    史跡めぐりは好きですがテーマがあると面白くなりますよね。

    私の興味は今のところ古代です。
    国分は古代と先端技術がが同居している面白い場所です。
    私は日向市の生まれでれ宮崎市で暫く仕事して今は国分に住んでいます。。ここに来た時に宮崎神話と思っていた海幸彦山幸彦の主人公の御陵が近くにあったのが興味を持ち始めた発端です。

    永野さんおブログを拝見しました。国分方面にも良く来られているのですね。こんど来られるときはご連絡ください。時間があえばお会いしたいものです。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/28])

     ご返事ありがとうございます。800年前の話、やはり無理ですね。
    俊寛が実際にこれらのルートを通って流されたかどうかは事実ではないのではと思いますが、長門本を書いた作者(複数かも)は本に出てくる地名を知っていたと思われますし、この本が書かれた当時はこのルートが一般的によく知られていたものと思われます。
     俊寛らが出港した港はまずは隼人のAZの近くの港から、鹿児島に立ち寄り最終的には坊津からのようです。このことについては「広報きりしま」(何号かはメモしてなくて不明ですが最近です)の20ページに詳しい記載があります。
     私のブログ「宮崎(都城)からの便り」の中の史跡巡りまたはぶらり旅の欄にもコチョコチョと書いています。参考になれば・・・。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/26])

    あの足摺の俊寛ですか。俊寛が我が家のちかくを通っていたとは感慨深いものがあります。
    残念なが止上から財部への古道は判りません。今では国分と財部を結ぶ県道2号線が近いと思います。
    気色の森も近くにあります。

    俊寛が流刑地に向かって出港したという石碑が鹿児島市の天文館にあるそうなので、国分から加治木を通って白銀坂を登ったのでしょうか。
    私も機会があったら薩摩街道などを訪ね歩きたいと思います。

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