霧島の麓にて

霧島の麓から田舎暮らしの日々をつづります・・・山登り、短歌、そしてパソコンな日々

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俳句吟行 迷い込んだ先は神の杜、神水峡

   

神水峡

先週末は月例の俳句吟行です。
吟行先は霧島町のアジサイロードと霧島神宮近くの霧島民芸村です。

霧島神宮駅から県道2号線に向かう市道には、両脇に4Kmに渡ってアジサイが植えられていて、アジサイロードと呼ばれています。
アジサイロードは地元の老人会の方々がお世話しています。

この道はあまり通る機会が少ないと思います。私も今回の俳句吟行で初めて通りました。アジサイは残念ながらピークを少し過ぎていましたが、随分と沢山のアジサイが植えてありました。来年はもう少し早く訪れてみたいです。

あぢさゐが青空盗み梅雨深し(谺)

季語が二つも入ってしまいましたが、アジサイの青色が印象的でした。

アジサイロードの七色の花々を堪能したあとは霧島神宮近くにある霧島民芸村に移動して句会です。

霧島民芸村は屋久杉の工芸品や焼き物などが展示、販売されています。建物は霧島神宮の大鳥居の横にあり、神社の施設かと見紛う神殿作りの建物です。
この建物は1940年(昭和15年、皇紀2600年)に修道場として作られたものだそうです。

ここで飲兵衛はぐい飲みとソラキューという面白いお猪口を買いました。ソラキューはそこに穴の開いたお猪口です。穴を指でふさいで酒を注ぎます。注がれたが最後、飲み干すまでは指が離せないという代物です。飲兵衛の考えそうなことです。

竜泉

時間があるというので霧島民芸村の近くを散策すると渓谷に降りていく階段がありました。急な階段をおり終わると、そこには龍神が鎮座し、水を勢いよく吐いていました。柄杓がおいてあり飲用もできると思い手ですくって飲むと甘さを感じる水でした。美味しかったです。

神水峡 田の神さぁ

そこから渓谷沿いに遊歩道がありました。あまり整備されていない感じでしたが田の神んさぁや安産の神さま、縁結びの神さまなどが遊歩道沿いにいらっしゃいました。渓谷は深く浸食されており、小さ目の高千穂峡のような感じで良い所でした。この頃の雨の影響で随分と水量が多かったですが、もっと水量の少ない日も良いかもしれません。マイナスイオンと神々のパワー満ち溢れる遊歩道です。

迷い込む神の杜にて滝に会う(谺)

最後は霧島民芸村敷地内にある食事処、神宮亭にて食事と句会です。こちらも趣のある建物で美味しいお昼を頂いたあとで、ゆっくりと句会をさせて頂きました。俳句の方はあまり出来は良くなかったです。まぁ、いつものことでありますが。

お金持ちの田の神さぁ

 - 俳句

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  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/30])

    永野さん、返事ありがとうございます。
    お会いできる日を楽しみにしております。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/30])

    おはようございます。パソコンに短歌に史跡巡りに山登りに米作りにバーベキューなどなどにとお忙しい毎日を楽しんでおられるようです。
    今度そちらにお伺いするときは連絡差し上げてみたいと思います。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/28])

    なるほど、興味深いですね。
    史跡めぐりは好きですがテーマがあると面白くなりますよね。

    私の興味は今のところ古代です。
    国分は古代と先端技術がが同居している面白い場所です。
    私は日向市の生まれでれ宮崎市で暫く仕事して今は国分に住んでいます。。ここに来た時に宮崎神話と思っていた海幸彦山幸彦の主人公の御陵が近くにあったのが興味を持ち始めた発端です。

    永野さんおブログを拝見しました。国分方面にも良く来られているのですね。こんど来られるときはご連絡ください。時間があえばお会いしたいものです。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/28])

     ご返事ありがとうございます。800年前の話、やはり無理ですね。
    俊寛が実際にこれらのルートを通って流されたかどうかは事実ではないのではと思いますが、長門本を書いた作者(複数かも)は本に出てくる地名を知っていたと思われますし、この本が書かれた当時はこのルートが一般的によく知られていたものと思われます。
     俊寛らが出港した港はまずは隼人のAZの近くの港から、鹿児島に立ち寄り最終的には坊津からのようです。このことについては「広報きりしま」(何号かはメモしてなくて不明ですが最近です)の20ページに詳しい記載があります。
     私のブログ「宮崎(都城)からの便り」の中の史跡巡りまたはぶらり旅の欄にもコチョコチョと書いています。参考になれば・・・。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/26])

    あの足摺の俊寛ですか。俊寛が我が家のちかくを通っていたとは感慨深いものがあります。
    残念なが止上から財部への古道は判りません。今では国分と財部を結ぶ県道2号線が近いと思います。
    気色の森も近くにあります。

    俊寛が流刑地に向かって出港したという石碑が鹿児島市の天文館にあるそうなので、国分から加治木を通って白銀坂を登ったのでしょうか。
    私も機会があったら薩摩街道などを訪ね歩きたいと思います。

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