本棚の数少ない歌集を眺め、手に取ったのが「微熱体」だ。「かばん」に所属している作者らしくニューウェーブのかおりを感じさせる完全口語の歌集。
ケントからはしゃいだ電話「九月から舞台に立てる」二十二時 晴れ
ケント死す 交通事故の現場には溶けたピリオドみたいな今日が
喪服など持たないヒロはジーンズで来た 命よりも赤い目をして
ポスターはこの夏に灼け出演者変更のビラ白く貼られる
この歌集には固有名詞が随分と登場する。私は三首目が好きだ。上の句の意外性が、友人の死を哀しむ素朴な思いを引き立たせ、深みを与えている。
ところで、その前後の短歌は如何だろうか。独立した短歌として読むと面白味もないし意味もわからない。これらは単に物語を紡ぐための短歌と言えるかもしれない。この様な連作は好みが分かれるかも知れないが、私は物語のある短歌も楽しみたいと思う。小説家志望という作者は物語を三十一文字に詰め込みながら連作をつくっていく。このような物語が歌集の随所に登場するのだ。
自販機の取りだし口に置き去りの自意識過剰っぽい缶コーラ
若者たちは皆、自意識過剰だ。この歌集に出てくる固有名詞の持ち主たちも漫画家志望、役者志望、ボクサー志望と「志望」の言葉に希望と焦燥、喜び、哀しみも全て詰め込んで生きている「置き去りの」若者たちだ。湿っぽくならないのは次のような歌が続くからだろう。
二人して交互に一つの風船に息を吹き込むようなおしゃべり
コンビニまでペンだこのある者同士へんとつくりになって歩いた
真夜中の屋上に風「さみしさ」の「さ」と「さ」の距離のままの僕たち
「おしゃべり」を修飾する長い比喩、この情景がイメージを存分に膨らませてくれる。話をしているのは例によって志望者達だ。吹き込んでいるのは夢ではないだろうか。ここは勝手に恋人同士の昼下がりおしゃべりにさせて頂く。
「置き去りの」若者たちも、このような一時を楽しんでいるのだ。言葉遊びのような歌も時折でてくる。作者は小説家志望らしく言葉に想いを重ねることが得意なのだろう。偏と旁の二人はどのような漢字になったのだろうか。辞書をめくってみたい気になる。
真夜中のニュースキャスター「またあし・・・・・・・」でCMになる 僕が「た」と言う
作者が「十代・二十代の思い出の総集編」と言っているように、若さと迷いが一杯つまている。歌集はこの歌で終わっている。作者は完成されない焦燥に「た」の一音を加えて、この歌集を終わらせているのだ。