霧島の麓にて

霧島の麓から田舎暮らしの日々をつづります・・・山登り、短歌、そしてパソコンな日々

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千葉聡歌集「微熱体」を読んで 短歌で物語を紡ぐ

      2015/06/10

若者

本棚の数少ない歌集を眺め、手に取ったのが「微熱体」だ。「かばん」に所属している作者らしくニューウェーブのかおりを感じさせる完全口語の歌集。

ケントからはしゃいだ電話「九月から舞台に立てる」二十二時 晴れ
ケント死す 交通事故の現場には溶けたピリオドみたいな今日が
喪服など持たないヒロはジーンズで来た 命よりも赤い目をして
ポスターはこの夏に灼け出演者変更のビラ白く貼られる

この歌集には固有名詞が随分と登場する。私は三首目が好きだ。上の句の意外性が、友人の死を哀しむ素朴な思いを引き立たせ、深みを与えている。

ところで、その前後の短歌は如何だろうか。独立した短歌として読むと面白味もないし意味もわからない。これらは単に物語を紡ぐための短歌と言えるかもしれない。この様な連作は好みが分かれるかも知れないが、私は物語のある短歌も楽しみたいと思う。小説家志望という作者は物語を三十一文字に詰め込みながら連作をつくっていく。このような物語が歌集の随所に登場するのだ。

自販機の取りだし口に置き去りの自意識過剰っぽい缶コーラ

若者たちは皆、自意識過剰だ。この歌集に出てくる固有名詞の持ち主たちも漫画家志望、役者志望、ボクサー志望と「志望」の言葉に希望と焦燥、喜び、哀しみも全て詰め込んで生きている「置き去りの」若者たちだ。湿っぽくならないのは次のような歌が続くからだろう。

二人して交互に一つの風船に息を吹き込むようなおしゃべり
コンビニまでペンだこのある者同士へんとつくりになって歩いた
真夜中の屋上に風「さみしさ」の「さ」と「さ」の距離のままの僕たち

「おしゃべり」を修飾する長い比喩、この情景がイメージを存分に膨らませてくれる。話をしているのは例によって志望者達だ。吹き込んでいるのは夢ではないだろうか。ここは勝手に恋人同士の昼下がりおしゃべりにさせて頂く。
「置き去りの」若者たちも、このような一時を楽しんでいるのだ。言葉遊びのような歌も時折でてくる。作者は小説家志望らしく言葉に想いを重ねることが得意なのだろう。偏と旁の二人はどのような漢字になったのだろうか。辞書をめくってみたい気になる。

真夜中のニュースキャスター「またあし・・・・・・・」でCMになる 僕が「た」と言う

作者が「十代・二十代の思い出の総集編」と言っているように、若さと迷いが一杯つまている。歌集はこの歌で終わっている。作者は完成されない焦燥に「た」の一音を加えて、この歌集を終わらせているのだ。

 - 短歌

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  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/30])

    永野さん、返事ありがとうございます。
    お会いできる日を楽しみにしております。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/30])

    おはようございます。パソコンに短歌に史跡巡りに山登りに米作りにバーベキューなどなどにとお忙しい毎日を楽しんでおられるようです。
    今度そちらにお伺いするときは連絡差し上げてみたいと思います。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/28])

    なるほど、興味深いですね。
    史跡めぐりは好きですがテーマがあると面白くなりますよね。

    私の興味は今のところ古代です。
    国分は古代と先端技術がが同居している面白い場所です。
    私は日向市の生まれでれ宮崎市で暫く仕事して今は国分に住んでいます。。ここに来た時に宮崎神話と思っていた海幸彦山幸彦の主人公の御陵が近くにあったのが興味を持ち始めた発端です。

    永野さんおブログを拝見しました。国分方面にも良く来られているのですね。こんど来られるときはご連絡ください。時間があえばお会いしたいものです。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/28])

     ご返事ありがとうございます。800年前の話、やはり無理ですね。
    俊寛が実際にこれらのルートを通って流されたかどうかは事実ではないのではと思いますが、長門本を書いた作者(複数かも)は本に出てくる地名を知っていたと思われますし、この本が書かれた当時はこのルートが一般的によく知られていたものと思われます。
     俊寛らが出港した港はまずは隼人のAZの近くの港から、鹿児島に立ち寄り最終的には坊津からのようです。このことについては「広報きりしま」(何号かはメモしてなくて不明ですが最近です)の20ページに詳しい記載があります。
     私のブログ「宮崎(都城)からの便り」の中の史跡巡りまたはぶらり旅の欄にもコチョコチョと書いています。参考になれば・・・。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/26])

    あの足摺の俊寛ですか。俊寛が我が家のちかくを通っていたとは感慨深いものがあります。
    残念なが止上から財部への古道は判りません。今では国分と財部を結ぶ県道2号線が近いと思います。
    気色の森も近くにあります。

    俊寛が流刑地に向かって出港したという石碑が鹿児島市の天文館にあるそうなので、国分から加治木を通って白銀坂を登ったのでしょうか。
    私も機会があったら薩摩街道などを訪ね歩きたいと思います。

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