霧島の麓にて

霧島の麓から田舎暮らしの日々をつづります・・・山登り、短歌、そしてパソコンな日々

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2015年の夏至は6月22日 お日さまの絶好調の日

      2015/06/20

夏至

毎日、毎日、雨模様の昨今です。今年の梅雨はまことに梅雨らしい梅雨です。米作りには無くてはならない梅雨の雨ですが、少しばかり多すぎるようです。先日植えた苗が泳ぎ始めています。

さて、6月22日は夏至であります。3日後です。お日さまのパワーがマックスになる日です。夏大好き人間の私にとっては待望の日でもあります。実際は、夏至の頃が梅雨時期で日照時間が少なかったり、大地が温まるのに時間がかからタイムラグがあったりして真夏はもうしばらく後になりますが。

昼の時間が一番長い日ということで少し調べてみました。

鹿児島では6月22日の日の出は5時13分です。日の入りは19時26分昼の時間は14時間13分ということになります。

夜の時間は残りの9時間47ですので、差し引き4時間26分も昼の時間が長いということになります。

今頃は8時頃まで明るいので仕事が終わっても一仕事できそうな感じです。ちなみに東京よりも30ほど遅い日没です。その分、東京では日の出が早いという事になります。

東京と鹿児島の違いは日の出、日の入りの時間もありますが、お日さまの高さも違います。
南中時の太陽の高さは東京が77.8度に対して、鹿児島は81.8度です。その分、お日さまのパワーが強い。この辺りでもソーラーパネルが目立つようになってきましたが、このお日さまの恵みが有利なのでしょうね。

調べている内に、もう一つ面白いことに気がつきました。
日の出と日の入りの時間がずれているのです。
日の出の一番早いのは6月13日頃で5時12分です。夏至の日よりも前です。
日の入りの一番遅いのは7月1日頃の19時27分、夏至よりも後ろです。
昼の時間の長さで見ると夏至の日が一番長いのですが、日の出、日の入りの時間で見ると必ずしも夏至の日が一番ではないようです。面白いですね。

山里に引っ越してきて土いじりを始めましたが、野菜など植えているとお日さまの力を感じます。
最初の頃は家の敷地内に小さな菜園を作って野菜を植えていましたが、夏至の頃はほとんど日が当たらない所でした。当然、野菜もひ弱で育ちが悪い。
今は一日中日のあたる場所に畑を借りたので、野菜の育ちが目に見えて早い。
ただ、これからが少し心配ではあります。梅雨が早く開けてくれないと日照不足になりそうです。

水耕栽培、人工日光などで工場風に野菜をつくる場面もあるし、それらを否定するつもりはありませんが、お日様や雨や風を感じながら作物を育てるほうが好きです。
水不足や日照不足と自然に振り回されることも多いですが、それ以上に自然の恵みの上に作物は育っていきます。この週末も田んぼと畑です。

 - エッセイ

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  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/30])

    永野さん、返事ありがとうございます。
    お会いできる日を楽しみにしております。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/30])

    おはようございます。パソコンに短歌に史跡巡りに山登りに米作りにバーベキューなどなどにとお忙しい毎日を楽しんでおられるようです。
    今度そちらにお伺いするときは連絡差し上げてみたいと思います。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/28])

    なるほど、興味深いですね。
    史跡めぐりは好きですがテーマがあると面白くなりますよね。

    私の興味は今のところ古代です。
    国分は古代と先端技術がが同居している面白い場所です。
    私は日向市の生まれでれ宮崎市で暫く仕事して今は国分に住んでいます。。ここに来た時に宮崎神話と思っていた海幸彦山幸彦の主人公の御陵が近くにあったのが興味を持ち始めた発端です。

    永野さんおブログを拝見しました。国分方面にも良く来られているのですね。こんど来られるときはご連絡ください。時間があえばお会いしたいものです。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/28])

     ご返事ありがとうございます。800年前の話、やはり無理ですね。
    俊寛が実際にこれらのルートを通って流されたかどうかは事実ではないのではと思いますが、長門本を書いた作者(複数かも)は本に出てくる地名を知っていたと思われますし、この本が書かれた当時はこのルートが一般的によく知られていたものと思われます。
     俊寛らが出港した港はまずは隼人のAZの近くの港から、鹿児島に立ち寄り最終的には坊津からのようです。このことについては「広報きりしま」(何号かはメモしてなくて不明ですが最近です)の20ページに詳しい記載があります。
     私のブログ「宮崎(都城)からの便り」の中の史跡巡りまたはぶらり旅の欄にもコチョコチョと書いています。参考になれば・・・。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/26])

    あの足摺の俊寛ですか。俊寛が我が家のちかくを通っていたとは感慨深いものがあります。
    残念なが止上から財部への古道は判りません。今では国分と財部を結ぶ県道2号線が近いと思います。
    気色の森も近くにあります。

    俊寛が流刑地に向かって出港したという石碑が鹿児島市の天文館にあるそうなので、国分から加治木を通って白銀坂を登ったのでしょうか。
    私も機会があったら薩摩街道などを訪ね歩きたいと思います。

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