霧島の麓にて

霧島の麓から田舎暮らしの日々をつづります・・・山登り、短歌、そしてパソコンな日々

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「にしき江」創刊百周年記念号が届きました

   

にしき江

にしき江の創刊百周年記念号が届きました。にしき江は私が参加している短歌結社・錦江社の発行する短歌誌です。通常なら100頁に足らないくらいくらいの月刊誌ですが、この記念号は366頁もあり圧巻の号になりました。

にしき江は大正3年5月17日に第1巻第1号が発行されています。この記念号は第102巻第2号となり通算1,143号になります。毎年創刊日の5月17日前後に結社の大会が催されますが、昨年は百周年ということで例年にも増して盛大に執り行われました。この記念号は大会に遅れる事、8ヶ月を費やし発行されたわけです。

百周年の大会では不つつかながら私が結社賞をいただきまして、その30首連作と受賞の挨拶が載っております。全くのまぐれの受賞でしたが、このような記念号に載せて頂いて私としても記念すべき号となりました。他にも座談会に参加させて頂き嬉しい限りです。

短歌愛好家はそれほど多くはありません。そんな中で百年も続いている短歌結社は限られています。中央の結社には数社ありますが、地方の結社では錦江社のみのようです。それも主宰者や歌友の皆さんの想いの積み重ねに他ならないと思います。

百年というと長い月日です。私などは錦江社に参加して10年にもなっておらず、その歴史の大半をしりません。この記念号は、そんな結社の歴史をつぶらに綴ってありました。創始者や歴代主宰者のお言葉、今は亡き歌友たちの短歌などなど。それらのエッセンスは間違いなく今の錦江社にも受け継がれており、私の中にも息づいていることでしょう。

錦江社は「知的抒情」を掲げています。この知的抒情が、さっぱり掴めません。知的も抒情も分かるのですが、知的抒情にそくした短歌なるとさっぱりです。もう少し時間がたてば詠めるようになるのでしょうかねぇ。難しいかもしれませんね。

先輩方の座談会の記事に、前の主幹の正義先生の言葉を見つけました。「あなたの生き方以上の歌はできません」。重い言葉だと思います。

 - 短歌

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  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/30])

    永野さん、返事ありがとうございます。
    お会いできる日を楽しみにしております。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/30])

    おはようございます。パソコンに短歌に史跡巡りに山登りに米作りにバーベキューなどなどにとお忙しい毎日を楽しんでおられるようです。
    今度そちらにお伺いするときは連絡差し上げてみたいと思います。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/28])

    なるほど、興味深いですね。
    史跡めぐりは好きですがテーマがあると面白くなりますよね。

    私の興味は今のところ古代です。
    国分は古代と先端技術がが同居している面白い場所です。
    私は日向市の生まれでれ宮崎市で暫く仕事して今は国分に住んでいます。。ここに来た時に宮崎神話と思っていた海幸彦山幸彦の主人公の御陵が近くにあったのが興味を持ち始めた発端です。

    永野さんおブログを拝見しました。国分方面にも良く来られているのですね。こんど来られるときはご連絡ください。時間があえばお会いしたいものです。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/28])

     ご返事ありがとうございます。800年前の話、やはり無理ですね。
    俊寛が実際にこれらのルートを通って流されたかどうかは事実ではないのではと思いますが、長門本を書いた作者(複数かも)は本に出てくる地名を知っていたと思われますし、この本が書かれた当時はこのルートが一般的によく知られていたものと思われます。
     俊寛らが出港した港はまずは隼人のAZの近くの港から、鹿児島に立ち寄り最終的には坊津からのようです。このことについては「広報きりしま」(何号かはメモしてなくて不明ですが最近です)の20ページに詳しい記載があります。
     私のブログ「宮崎(都城)からの便り」の中の史跡巡りまたはぶらり旅の欄にもコチョコチョと書いています。参考になれば・・・。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/26])

    あの足摺の俊寛ですか。俊寛が我が家のちかくを通っていたとは感慨深いものがあります。
    残念なが止上から財部への古道は判りません。今では国分と財部を結ぶ県道2号線が近いと思います。
    気色の森も近くにあります。

    俊寛が流刑地に向かって出港したという石碑が鹿児島市の天文館にあるそうなので、国分から加治木を通って白銀坂を登ったのでしょうか。
    私も機会があったら薩摩街道などを訪ね歩きたいと思います。

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