霧島の麓にて

霧島の麓から田舎暮らしの日々をつづります・・・山登り、短歌、そしてパソコンな日々

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鰻と色欲

      2015/08/07

ウナギの蒲焼き

蒲焼に日本酒垂らしつつおもふ茂吉にのこりゐし色欲を

栗本京子氏の歌集「けむり水晶」の一首です。
上記は冒頭、2首目の歌、まぁ、なんと人の色欲まで気にせずとも良いものを。
そう思いながら気になったので齋藤茂吉と鰻の関係を調べてみました。
まぁ、そうとうな鰻好きだったんですね。

茂吉の日記から食べた鰻を数えた人がいたようで、なんと1000匹あまりだとか。
毎週食べたって1年で50匹、20年も掛かります。
実際、44歳で鰻好きになり、68歳ころでは流石に脂っこいものが苦手になったのか関心を示さなくなるそうで、その間の約20年間に食べまくったとか。
その辺りの顛末はこちらに詳しく

http://www.irago.co.jp/documents/mokichi.html

ついでに色欲の方も調べてみる。
相手は愛弟子である永井ふさ子。
なんと送った恋文は150通に及びます。五十路を超えた大歌人がまるで、年端のない青年のような情熱にあふれた手紙をしたためています。
そちらの顛末はこちら

http://www.shimintimes.co.jp/yomi/aruku/217.html

1首でこれだけ楽しめるのもいいですねぇ。
素通りしても良いのだけど茂吉という誰でもしっている名前に蒲焼、色欲などの意味深な言葉があると気になるというもの。

蒲焼からこれだけ話題が膨らむものなんですねぇ。
栗本さんも蒲焼から、これだけ話題性のある歌を。
私も、その歌からこれらの興味深い文をみつけました。
通り過ぎれは単なる蒲焼、みつめればひとつの宇宙です。

 - 短歌

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  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/30])

    永野さん、返事ありがとうございます。
    お会いできる日を楽しみにしております。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/30])

    おはようございます。パソコンに短歌に史跡巡りに山登りに米作りにバーベキューなどなどにとお忙しい毎日を楽しんでおられるようです。
    今度そちらにお伺いするときは連絡差し上げてみたいと思います。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/28])

    なるほど、興味深いですね。
    史跡めぐりは好きですがテーマがあると面白くなりますよね。

    私の興味は今のところ古代です。
    国分は古代と先端技術がが同居している面白い場所です。
    私は日向市の生まれでれ宮崎市で暫く仕事して今は国分に住んでいます。。ここに来た時に宮崎神話と思っていた海幸彦山幸彦の主人公の御陵が近くにあったのが興味を持ち始めた発端です。

    永野さんおブログを拝見しました。国分方面にも良く来られているのですね。こんど来られるときはご連絡ください。時間があえばお会いしたいものです。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/28])

     ご返事ありがとうございます。800年前の話、やはり無理ですね。
    俊寛が実際にこれらのルートを通って流されたかどうかは事実ではないのではと思いますが、長門本を書いた作者(複数かも)は本に出てくる地名を知っていたと思われますし、この本が書かれた当時はこのルートが一般的によく知られていたものと思われます。
     俊寛らが出港した港はまずは隼人のAZの近くの港から、鹿児島に立ち寄り最終的には坊津からのようです。このことについては「広報きりしま」(何号かはメモしてなくて不明ですが最近です)の20ページに詳しい記載があります。
     私のブログ「宮崎(都城)からの便り」の中の史跡巡りまたはぶらり旅の欄にもコチョコチョと書いています。参考になれば・・・。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/26])

    あの足摺の俊寛ですか。俊寛が我が家のちかくを通っていたとは感慨深いものがあります。
    残念なが止上から財部への古道は判りません。今では国分と財部を結ぶ県道2号線が近いと思います。
    気色の森も近くにあります。

    俊寛が流刑地に向かって出港したという石碑が鹿児島市の天文館にあるそうなので、国分から加治木を通って白銀坂を登ったのでしょうか。
    私も機会があったら薩摩街道などを訪ね歩きたいと思います。

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