霧島の麓にて

霧島の麓から田舎暮らしの日々をつづります・・・山登り、短歌、そしてパソコンな日々

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南日本短歌大会(第110回)に参加しました

   

短歌

4月25日に南日本短歌大会が開催されました。

今大会には230首の出詠があり、回を増すごとに応募が増えています。遠くは北海道からも応募があり大会の広がりを感じました。
出席者は110名でした。出詠者の半数余りが出席したことになりますね。

応募のあった短歌は作品集にまとめられて大会当日に配られます。その作品集をもとに出席者による互選が行われるのです。出席者がそれぞれ5首を選び、得票の多い順に表彰されます。

互選1位は20票を獲得した次の作品が選ばれました。

農機具と共に老いたる父米寿鍬洗いつつ離農を語る

大会のメインは批評研究会です。出詠のあった作品を7名の選者が受け持って批評を行い、参加者と意見交換を行います。今回も活発な質問、意見、批評などが交わされ賑やかでした。自分の短歌が取り上げられると嬉しいものですが、他の方の歌についても多様な意見が交わされ勉強になります。中には辛口の批評もありますが、それはそれでしっかりと受け止めて作歌に繋げていきたいものです。

選者は県内の短歌結社から1名づつ担当します。今回は7つの結社が参加となりました。大会では互選上位者と共に、選者による選者選が表彰されます。また選者により鹿児島県歌人協会賞も選ばれ表彰されます。

今回の歌人協会賞を受賞した作品です。

青信号に変はれば前からゆつくりと春の車列は解けゆきたり

春の大会では歌人協会賞、選者選、互選の表彰のほかに、南日本新聞に掲載されている南日本歌壇の歌壇賞表彰も行われます。こちらは新聞に掲載された作品の中から、選者が選んだ作品となります。現在の選者は永田和宏氏、高野公彦氏、小島ゆかり氏です。

今年は鹿児島県で国民文化祭が開催されることもあり、秋の大会はありません。
次回の111回大会は来年、28年4月23日(土)に開催されます。次回も多くの皆さんに出詠、参加して頂きたいです。

 - 短歌

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  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/30])

    永野さん、返事ありがとうございます。
    お会いできる日を楽しみにしております。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/30])

    おはようございます。パソコンに短歌に史跡巡りに山登りに米作りにバーベキューなどなどにとお忙しい毎日を楽しんでおられるようです。
    今度そちらにお伺いするときは連絡差し上げてみたいと思います。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/28])

    なるほど、興味深いですね。
    史跡めぐりは好きですがテーマがあると面白くなりますよね。

    私の興味は今のところ古代です。
    国分は古代と先端技術がが同居している面白い場所です。
    私は日向市の生まれでれ宮崎市で暫く仕事して今は国分に住んでいます。。ここに来た時に宮崎神話と思っていた海幸彦山幸彦の主人公の御陵が近くにあったのが興味を持ち始めた発端です。

    永野さんおブログを拝見しました。国分方面にも良く来られているのですね。こんど来られるときはご連絡ください。時間があえばお会いしたいものです。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/28])

     ご返事ありがとうございます。800年前の話、やはり無理ですね。
    俊寛が実際にこれらのルートを通って流されたかどうかは事実ではないのではと思いますが、長門本を書いた作者(複数かも)は本に出てくる地名を知っていたと思われますし、この本が書かれた当時はこのルートが一般的によく知られていたものと思われます。
     俊寛らが出港した港はまずは隼人のAZの近くの港から、鹿児島に立ち寄り最終的には坊津からのようです。このことについては「広報きりしま」(何号かはメモしてなくて不明ですが最近です)の20ページに詳しい記載があります。
     私のブログ「宮崎(都城)からの便り」の中の史跡巡りまたはぶらり旅の欄にもコチョコチョと書いています。参考になれば・・・。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/26])

    あの足摺の俊寛ですか。俊寛が我が家のちかくを通っていたとは感慨深いものがあります。
    残念なが止上から財部への古道は判りません。今では国分と財部を結ぶ県道2号線が近いと思います。
    気色の森も近くにあります。

    俊寛が流刑地に向かって出港したという石碑が鹿児島市の天文館にあるそうなので、国分から加治木を通って白銀坂を登ったのでしょうか。
    私も機会があったら薩摩街道などを訪ね歩きたいと思います。

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