霧島の麓にて

霧島の麓から田舎暮らしの日々をつづります・・・山登り、短歌、そしてパソコンな日々

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雁俣山 カタクリを訪ねて(H21.4)

      2015/01/11

カタクリカタクリン、誰かがそう呼んでいました。
今日は片栗の花を愛でに五家荘です。
カタクリン、朝は肩をすぼめて俯いていた控えめな花も、昼を過ぎれば花びらをクリンとそらせてしまいました。
モンローが「7年目の浮気」で見せた有名なシーンを思い出しますね。
朝は清楚な乙女だったんい、昼を過ぎると妖艶な艶女に変身するカタクリの花。

熊本の山なので7時に空港に待ち合わせです。
今日のメンバーは7人、宮崎、熊本組とは人吉で待ち合わせです。
落ち合って一路、五木を目指します。
このところ熊本が多かったので馴染みの道です。

去年は京丈山にいったのですが、少し早かったのかカタクリは2輪のみでした。
はたして今日はどうなのでしょうか。
おりしも今日は山開きとか、イベントもあるようで先着100人にはプレゼントも。
そんな話をしながら山道を進みます。
プレゼントもいいのですが、山開きだと人が多いでしょうねぇ。

登山口につくとなにやら賑やかです。
演奏会をしています、人も多いようです。
プレゼントは・・・手遅れでした。
まぁ、そんなのよりも春のプレゼントの方を期待いたしましょう。

登り始めると直ぐに木の階段が現れました。
これが意外に長くてちょっと疲れます。
しかし、これを過ぎると平坦な道のようです。

暫く進むとチラホラとカタクリの花が現れました。
まだ俯いた乙女風カタクリです。
ハンターさんを先頭にシャッターを切りはじめました。
あっ、ハンターさんの帽子が・・・山の斜面を転がっていきました。
本当は入ってはいけないのだけどこれはしょうがないとロープを越えて取りに行きます。
これは偶然か必然か・・・不明です。

カタクリの群生を過ぎると坂が急になりました。
山頂直下は急登のようです。
ふと目の前にヒカゲツツジが現れました。
地味なツツジですねぇ。
蕾も多くて、まだ少し早いようです。

山頂はやはり混んでいました。
狭い山頂に20人ほど、私達はまだ早いので早々に降ってバイケイソウのところで食事ということに。
バイケイソウの蛇腹葉っぱを目指して進むと、おっとっと、一輪草があしもとに。
踏まないように注意しながらシートを敷いて食事です。

朝は花をすぼめていたカタクリも花びらをクルリとそらして再び出迎えてくれました。
さて、もう一度、妖艶なカタクリをカメラに収めていきます。
下の方ではまだ演奏会をしているようです。

降ってから演奏会に耳を傾け、スイカを食べて、コーヒーをのんで・・・ゆったりとした休日の午後をすごします。
さて、次は・・・去年、京丈山に行ったときに出逢ったヒトリシズカに会いに行こうということに、しかし、着いてみると門がしまっており断念、ではと栴檀轟の滝に。

くねくね道をくねくねと走って、なが~い階段を下りていった先は一条の滝。
滝までの道にはヤマブキ、二輪草、フデリンドウなどなど。
あらあら、カメラ屋さんは大忙しです。
ふぅ、私の写真も170枚になりました。

1時過ぎに雁俣山を降りてきたのに、温泉を出たのは5時でした。
あちらこちらと春の山を堪能した一日でした。
カタクリも新緑も、そして滝と滝の周りの小さな花たち。
きっと、来年も楽しませてくれることでしょう。
いまから来年が楽しみです。

雁俣山 登山記録

登山日 平成21年4月19日
登山者 谺、ハンターさん、コパさん、memeさん、mokomokoさん、Oさん、Nさん

7:00 鹿児島空港集合
9:50 雁俣山登山口
10:15 カタクリ群生地
10:50 雁俣山山頂
11:15 バイケイソウ群生地(昼食)
12:00 カタクリ群生地
12:50 雁俣山登山口(下山)

オプション 栴檀轟の滝

 - 登山日誌 , ,

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  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/30])

    永野さん、返事ありがとうございます。
    お会いできる日を楽しみにしております。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/30])

    おはようございます。パソコンに短歌に史跡巡りに山登りに米作りにバーベキューなどなどにとお忙しい毎日を楽しんでおられるようです。
    今度そちらにお伺いするときは連絡差し上げてみたいと思います。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/28])

    なるほど、興味深いですね。
    史跡めぐりは好きですがテーマがあると面白くなりますよね。

    私の興味は今のところ古代です。
    国分は古代と先端技術がが同居している面白い場所です。
    私は日向市の生まれでれ宮崎市で暫く仕事して今は国分に住んでいます。。ここに来た時に宮崎神話と思っていた海幸彦山幸彦の主人公の御陵が近くにあったのが興味を持ち始めた発端です。

    永野さんおブログを拝見しました。国分方面にも良く来られているのですね。こんど来られるときはご連絡ください。時間があえばお会いしたいものです。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/28])

     ご返事ありがとうございます。800年前の話、やはり無理ですね。
    俊寛が実際にこれらのルートを通って流されたかどうかは事実ではないのではと思いますが、長門本を書いた作者(複数かも)は本に出てくる地名を知っていたと思われますし、この本が書かれた当時はこのルートが一般的によく知られていたものと思われます。
     俊寛らが出港した港はまずは隼人のAZの近くの港から、鹿児島に立ち寄り最終的には坊津からのようです。このことについては「広報きりしま」(何号かはメモしてなくて不明ですが最近です)の20ページに詳しい記載があります。
     私のブログ「宮崎(都城)からの便り」の中の史跡巡りまたはぶらり旅の欄にもコチョコチョと書いています。参考になれば・・・。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/26])

    あの足摺の俊寛ですか。俊寛が我が家のちかくを通っていたとは感慨深いものがあります。
    残念なが止上から財部への古道は判りません。今では国分と財部を結ぶ県道2号線が近いと思います。
    気色の森も近くにあります。

    俊寛が流刑地に向かって出港したという石碑が鹿児島市の天文館にあるそうなので、国分から加治木を通って白銀坂を登ったのでしょうか。
    私も機会があったら薩摩街道などを訪ね歩きたいと思います。

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