霧島の麓にて

霧島の麓から田舎暮らしの日々をつづります・・・山登り、短歌、そしてパソコンな日々

*

市房山 桜見をかねて(H21.3)

      2015/01/11

市房山確か去年も降水確率を気にしていたような気がします。
週間予報はずっと雨マークが並んで段々と降水確率が上がっていたのに週末に近づくにつれ下がってきました。
私の行いが天に通じたようです。
参加する皆がぞれぞれにそう思っているかもしれません、今回の市房山は3人で登ります。
もちろん、市房ダムの桜もお目当ての一つ。

空港に6時30分に集合、そこから1台の車で高速を一路、人吉に向かいます。
暫く走ると見慣れた光景、市房ダムの桜が見え始めました。
昨年は一週おくれでしたが、今年は桜祭りの真っ最中のようです。
でも、少し散っているようなきもします。
桜は帰りにゆっくりと愛でることに致しましょう。

市房山はハードな山です。
去年は1合目からのぼりましたが、今年は端折って上の市房神社から登りはじめます。
4合目です。
登り始めると直ぐに大杉が目につきます。
昨年、地元の人たちが植えていた苗が少しばかり大きくなっているような気がします。
この小さな杉が周りの千年杉のように大きくなる頃には日本はどうなっているのでしょうねぇ。
このまま変わらない風景であって欲しいですね。

朱色の鮮やかな市房神社で今日の山行の無事を祈ります。
さぁ、いよいよ市房の急登です。
急な登りはもちろん、梯子がいたるところに現れます。
足を大きく上げる歩き方になり、あとの筋肉痛が危ぶまれます。

5合目近くに仏岩がありました。
どうも、登山道から外れていたようです。
昨年は此処を通らなかったと思います。
垂直に岩柱が伸びています。
ちょっと異様な風景。

6合目は最大の難所、馬の背です。
これでもかというような急な坂、梯子、抉れた登山道、足をとるような樹の根、次々に現れては体力を奪っていきます。
ふと、ミツバツツジのピンクの花が目に付きました。
写真をとるのを口実に一休み。

馬の背を過ぎても、まだまだ急な登山道です。
昨日は雪だったようで、所々に残り雪があります。
目の前にある騙しの頂上、去年も見事に騙されました。
さすがに今年は騙されません。
それに、端折ったぶん、少しばかり元気が残っています。

ちらほらとマンサクが咲いています。
霧島のマンサクを見たのは雪の日で、マンサクも縮こまっていました。
市房で漸くマンサクらしいマンサクを見ることが出来ました。
ここなしか霧島のマンサクよりも黄色さが濃いような気がします。

山頂直下で、また騙し。
ここは不意をつかれて少し騙されて元気をそがれました。
しかし、頂上は直ぐそこです。
ほらぁ、「頂上まであと5分」の立て札があるじゃないですか。
頂上です。

頂上では先行さんがバーナーで珈琲を入れていました。
追い越した団体さんも来そうなのでちょっとはずれの岩の上で昼食です。
眼下にはマンサクの木が沢山見え、ちょっとずつ花がついています。
全部に花がつくときれいでしょうねぇ。

「心見の橋」まで3分とのことで様子を見にいくことに。
見るだけならば私も大丈夫です。
裂け目は深く上部は3メートルくらいあり、そこに岩が挟まったような感じです。
数メートル迂回すれば別に渡らなくても良いものを、やはり渡りたがる人がいます。
私はその姿をカメラに収めます。
きっと、あとで「心見の橋」を「渡れなかった」ことを揶揄されます。
「渡れなかった」のではなく「渡らなかった」・・・まぁ、同じか。

くだりは早い。
途中で福岡から来たという団体さんに会いました。
8合目で昼食のようです、既に1時を過ぎています。
大丈夫でしょうかねぇ。
あの調子だったら降りも時間がかかりそうです。
ツアーだといろんな人があつまるので計画道理に進まないのでしょうねぇ。

調子よく降って市房神社に。
無事に降りてきたことのお礼をして、さぁ、次は市房ダムの桜です。
温泉に入って花見。
桜祭りが終わろうとしている人ごみの中に入って行きます。
昨年は桜祭りが終わっていたのでゆっくりと見る事ができたのですが、今年はにぎやかです。

しかし、少しばかり散っていますね。
先週くらいが良かったかもしれません。
ということは去年よりも2週も早く桜が咲いたことになりますね。
山には雪がつもっていたと言うのにねぇ。

市房山 登山記録

登山日 平成21年3月29日
登山者 谺、memeさん、ORさん

6:30 鹿児島空港集合
8:45 車道終点 登山口(登山開始)
9:00 市房神社 4合目
9:30 5合目
9:32 仏岩
10:00 6合目
10:30 7合目
10:55 8合目
11:15 9合目
11:35 頂上(昼食)
12:25 心見の橋
14:25 市房神社
14:50 登山口(下山)

 - 登山日誌 ,

adsense

adsense

最近のコメント

このブログでは記事ごとのコメントは設けておりません。
ご意見、ご感想などは、ゲストブックに書き込んでくださると有り難いです。


  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/30])

    永野さん、返事ありがとうございます。
    お会いできる日を楽しみにしております。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/30])

    おはようございます。パソコンに短歌に史跡巡りに山登りに米作りにバーベキューなどなどにとお忙しい毎日を楽しんでおられるようです。
    今度そちらにお伺いするときは連絡差し上げてみたいと思います。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/28])

    なるほど、興味深いですね。
    史跡めぐりは好きですがテーマがあると面白くなりますよね。

    私の興味は今のところ古代です。
    国分は古代と先端技術がが同居している面白い場所です。
    私は日向市の生まれでれ宮崎市で暫く仕事して今は国分に住んでいます。。ここに来た時に宮崎神話と思っていた海幸彦山幸彦の主人公の御陵が近くにあったのが興味を持ち始めた発端です。

    永野さんおブログを拝見しました。国分方面にも良く来られているのですね。こんど来られるときはご連絡ください。時間があえばお会いしたいものです。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/28])

     ご返事ありがとうございます。800年前の話、やはり無理ですね。
    俊寛が実際にこれらのルートを通って流されたかどうかは事実ではないのではと思いますが、長門本を書いた作者(複数かも)は本に出てくる地名を知っていたと思われますし、この本が書かれた当時はこのルートが一般的によく知られていたものと思われます。
     俊寛らが出港した港はまずは隼人のAZの近くの港から、鹿児島に立ち寄り最終的には坊津からのようです。このことについては「広報きりしま」(何号かはメモしてなくて不明ですが最近です)の20ページに詳しい記載があります。
     私のブログ「宮崎(都城)からの便り」の中の史跡巡りまたはぶらり旅の欄にもコチョコチョと書いています。参考になれば・・・。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/26])

    あの足摺の俊寛ですか。俊寛が我が家のちかくを通っていたとは感慨深いものがあります。
    残念なが止上から財部への古道は判りません。今では国分と財部を結ぶ県道2号線が近いと思います。
    気色の森も近くにあります。

    俊寛が流刑地に向かって出港したという石碑が鹿児島市の天文館にあるそうなので、国分から加治木を通って白銀坂を登ったのでしょうか。
    私も機会があったら薩摩街道などを訪ね歩きたいと思います。

  •   関連記事