霧島の麓にて

霧島の麓から田舎暮らしの日々をつづります・・・山登り、短歌、そしてパソコンな日々

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仰烏帽子山 福寿草を愛でに(H21.2)

      2015/01/11

福寿草「今日のメインは何ですかぁ」
隊長さんから声が聞こえてきました。
「福寿草でぇす」
一斉に答えます。
「じゃぁ、山頂はパスしてぇ福寿草にぃ」
ハハハ、そりゃないよと女性人から声がかかります。
私はそれもありかと思いつつ笑ってその場を凌ぎます。

今日は仰烏帽子に福寿草を愛でる登山です。
かれこれ、3年ほど待ち焦がれた機会がやっと廻ってきました。
今までは皆さんの写真をみながら機会に恵まれない自分の境遇を、ただただ悲しんでおりました。

7時集合、そえから高速でえびのまで、そこで隊長さんと待ち合わせ後に熊本は五木にむかって進みます。
五木の道の駅まえでもう1人と合流して仰烏帽子へ、こんなに車で登っていいのというくらいに登ると登山口です。
登山口には、もう沢山の車がとまっていました。
皆さん、よくご存知で・・・という私達も鹿児島、宮崎、熊本の混成チームです。

ここの福寿草を目当てに入山する人も多いとのことで、踏み荒らしなどで数が少なくなっているようです。
むやみに登山道からはなれて写真など撮らないようにとの注意書きが沢山あります。

沢沿いにそれなりの坂を登っていくと仰烏帽子山頂と福寿草の群生がある仏石との分岐がありました。
福寿草の方に行くのかと思っていたら、やっぱり山頂の方へ。
そうですよねぇ。
山頂は狭いものの展望が良く、市房やわが霧島連山までも一望に見渡すことが出来ました。

人も多くて思い思いに弁当を広げているのでちょっと降って林のなかで昼食です。
あっ、カップラーメンを作っているぅ。
あっ、バーナーが出てきた、あっ、チャンポンだぁ。
皆さん、とっても美味しそう。
わたしは相変わらずのおにぎりだけど、それでもお昼は山行の楽しみのひとつです。

さて、さて、目的の福寿草は分岐まで引き返して、もうひと歩き。
岩場をおりると一面に黄色い花が咲いていました。
蝋のような光沢をもった黄色い花びらがあちらこちらに。
ここまでの道のりで重くなった足から疲れが引いていきます。
素敵です。

そこで一頻り福寿草を愛でた後は、さらに奥の方に進んでいきます。
奥の方の群生が素晴らしいとか。
みると皆さん、そちらの方にむかって歩いています。
登っていくと岩の間に黄色い宝石をちりばめたように福寿草が。
そして、そこら一面にカメラマン。
促成カメラマンも加わって春の雫のような花、福寿草を持ち帰ろうとファインダーを覗いています。
もちろん私も。

登ってきた沢を下りつつ、福寿草の可憐な花、美味しそうだったチャンポン、美味しかった生チョコ大福を思い出し、おしゃべりをしながら余韻にしたります。
また来年もこないと。

仰烏帽子山 登山記録

登山者 私、ハンターさん、コパさん、OAN

7:00 集合 高速でえびのまで
8:00 ループ橋合流
9:50 仰烏帽子 登山口(登山開始)
11:00 分岐
11:50 山頂(昼食)
13:00 分岐
13:10 福寿草群生地(下部)
13:45 福寿草群生地(上部)
14:30 福寿草群生地(下部)
14:40 分岐
15:20 仰烏帽子 登山口(下山)

 - 登山日誌 , ,

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  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/30])

    永野さん、返事ありがとうございます。
    お会いできる日を楽しみにしております。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/30])

    おはようございます。パソコンに短歌に史跡巡りに山登りに米作りにバーベキューなどなどにとお忙しい毎日を楽しんでおられるようです。
    今度そちらにお伺いするときは連絡差し上げてみたいと思います。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/28])

    なるほど、興味深いですね。
    史跡めぐりは好きですがテーマがあると面白くなりますよね。

    私の興味は今のところ古代です。
    国分は古代と先端技術がが同居している面白い場所です。
    私は日向市の生まれでれ宮崎市で暫く仕事して今は国分に住んでいます。。ここに来た時に宮崎神話と思っていた海幸彦山幸彦の主人公の御陵が近くにあったのが興味を持ち始めた発端です。

    永野さんおブログを拝見しました。国分方面にも良く来られているのですね。こんど来られるときはご連絡ください。時間があえばお会いしたいものです。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/28])

     ご返事ありがとうございます。800年前の話、やはり無理ですね。
    俊寛が実際にこれらのルートを通って流されたかどうかは事実ではないのではと思いますが、長門本を書いた作者(複数かも)は本に出てくる地名を知っていたと思われますし、この本が書かれた当時はこのルートが一般的によく知られていたものと思われます。
     俊寛らが出港した港はまずは隼人のAZの近くの港から、鹿児島に立ち寄り最終的には坊津からのようです。このことについては「広報きりしま」(何号かはメモしてなくて不明ですが最近です)の20ページに詳しい記載があります。
     私のブログ「宮崎(都城)からの便り」の中の史跡巡りまたはぶらり旅の欄にもコチョコチョと書いています。参考になれば・・・。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/26])

    あの足摺の俊寛ですか。俊寛が我が家のちかくを通っていたとは感慨深いものがあります。
    残念なが止上から財部への古道は判りません。今では国分と財部を結ぶ県道2号線が近いと思います。
    気色の森も近くにあります。

    俊寛が流刑地に向かって出港したという石碑が鹿児島市の天文館にあるそうなので、国分から加治木を通って白銀坂を登ったのでしょうか。
    私も機会があったら薩摩街道などを訪ね歩きたいと思います。

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