霧島の麓にて

霧島の麓から田舎暮らしの日々をつづります・・・山登り、短歌、そしてパソコンな日々

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中岳麓-新燃岳鞍部 ツツジは蕾(H20.4)

      2015/01/10

高千穂河原久々に家族登山です。
今日はAさんたちも山に入っている様子、もしかしたら山で合うことになるかも。
まぁ、しかし、どのようなルートかも知らないので合えない可能性が大。
今日は花々の様子見も兼ねてハイキングです。
高千穂河原から皇子原ルートを進み、途中から中岳、新燃岳の麓の樹海を進みながら新燃岳・獅子戸岳の鞍部へ出るルートです。
アップダウンの比較的少ないコースですが、ルートの判り難い所もあり慣れた人と行ったほうが無難です。

何時もどうり古宮に一礼をして森の中に。
この高千穂河原から皇子原へ続く山道はフラットで森林浴には最適のコースです。
途中から中岳鞍部、新燃岳鞍部へのルート、竜王山、矢岳鞍部、矢岳へのルートなど様々なバリエーションを楽しめる基点にもなります。

10分ほどで中岳麓の躑躅ヶ原につきましたが、まだまだミヤマキリシマには早いようです。
暫く進むとシロモジがチラホラとありました。
ここから樹林の中を進みますが、新緑にも少し早い雰囲気です。
しかし、相変わらず人の通らないルートです。

おやっ、外人さんが・・・。
「此処は何処だ?」といっていますよ。
手に持っているのは英語版の観光ガイド。
こんなマイナーなルートは書いてありません。
ん~、”This is Mt.Takachiho”、”Oh OK”、私に英語で説明しろというのが無理な話。
それでも幾つかのルートを書き加えたりして何とか伝えられた・・・と思う。
どうも、中岳に行きたい雰囲気。
おり悪く、そこは中岳鞍部へのルートの入り口。
入り口の道標には「ルートファウンディングできない初心者は入らないように」と書いてあります。
そんな事、英語で伝えられる力もなく彼は進んでいきました。
慣れているようでしたが大丈夫でしょうかねぇ。

件の外人さんの事が気になりつつ、左に折れて竜王山の方に向かいます。
宮崎から来た人と情報交換をしながら進み、2つの枯れ沢を抜けてまた左に折れます。
ここから新燃岳の麓の樹海を抜けて新燃岳鞍部に向かいます。
昨年は5月末に同じコースを通ってミヤマキリシマを堪能したのですが、流石に今回は早かったようです。

樹海を抜けるとお花畑の原っぱに。
低層のミヤマツツジはまだ蕾も固く、春リンドウが星をばら撒いたように咲いています。
もうすこしするとお花畑が出現することでしょう。

時期が早いと思いつつも新湯林道へむかってミツバツツジを確認しました。
やはり蕾は固く、2週間後くらいが見ごろかと思います。
心なしか、花芽が少ないような気もしました。
この辺りは老木も多く、枯木や盗掘の跡かと思しき穴など痛ましい光景も見受けられます。

新燃岳の火口湖は相変わらず神秘的な色で出迎えてくれました。
その火口の縁を歩いて新燃岳頂上にいくと見慣れた顔が。
ほう、会えましたねぇ。
しかし、なんで今頃このあたりを?
聞くと皇子原から矢岳、竜王山を経て件の中岳鞍部コースに入ったとか。
そこから、なんと新燃岳を経て鞍部から麓樹海にいって皇子原へもどるとか。
つい「なんちゅうルートだ」と叫んでしまいました。

さて、これからは消化ルート、中岳を経て車の待つ高千穂河原へ。
この辺りのミヤマキリシマは5月末から6月でしょうか。
中岳を下り始めるとクサボケがぽつぽつと可愛らしい花を見せてくれます。
いまがちょど見ごろでしょう。

さて、今年は少し花が遅れ気味のようです。
1週間遅れくらいでしょうか。
母の日頃にまた登れるといいでしょうね。

平成20年4月29日

 - 登山日誌

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  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/30])

    永野さん、返事ありがとうございます。
    お会いできる日を楽しみにしております。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/30])

    おはようございます。パソコンに短歌に史跡巡りに山登りに米作りにバーベキューなどなどにとお忙しい毎日を楽しんでおられるようです。
    今度そちらにお伺いするときは連絡差し上げてみたいと思います。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/28])

    なるほど、興味深いですね。
    史跡めぐりは好きですがテーマがあると面白くなりますよね。

    私の興味は今のところ古代です。
    国分は古代と先端技術がが同居している面白い場所です。
    私は日向市の生まれでれ宮崎市で暫く仕事して今は国分に住んでいます。。ここに来た時に宮崎神話と思っていた海幸彦山幸彦の主人公の御陵が近くにあったのが興味を持ち始めた発端です。

    永野さんおブログを拝見しました。国分方面にも良く来られているのですね。こんど来られるときはご連絡ください。時間があえばお会いしたいものです。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/28])

     ご返事ありがとうございます。800年前の話、やはり無理ですね。
    俊寛が実際にこれらのルートを通って流されたかどうかは事実ではないのではと思いますが、長門本を書いた作者(複数かも)は本に出てくる地名を知っていたと思われますし、この本が書かれた当時はこのルートが一般的によく知られていたものと思われます。
     俊寛らが出港した港はまずは隼人のAZの近くの港から、鹿児島に立ち寄り最終的には坊津からのようです。このことについては「広報きりしま」(何号かはメモしてなくて不明ですが最近です)の20ページに詳しい記載があります。
     私のブログ「宮崎(都城)からの便り」の中の史跡巡りまたはぶらり旅の欄にもコチョコチョと書いています。参考になれば・・・。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/26])

    あの足摺の俊寛ですか。俊寛が我が家のちかくを通っていたとは感慨深いものがあります。
    残念なが止上から財部への古道は判りません。今では国分と財部を結ぶ県道2号線が近いと思います。
    気色の森も近くにあります。

    俊寛が流刑地に向かって出港したという石碑が鹿児島市の天文館にあるそうなので、国分から加治木を通って白銀坂を登ったのでしょうか。
    私も機会があったら薩摩街道などを訪ね歩きたいと思います。

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